著者の考える理想の国語とは?
★★☆☆☆
中学校に入学して初めての国語の授業で先生から金田一京助の話があり、三省堂の「明解国語辞典」を入手することを薦められた。早速、三省堂で入手したが、そのときの辞典はもうない。手元には昭和43年3月の改訂新装143版がある。その奥付によると、改訂版は昭和27年4月の発行であり、あとがきから戦後の国語改革に忠実であったことが判る。この辞典の最大の特徴は見出し語が表音式(例えば教育が「きょおいく」)であることと標準語のアクセント記号があることである。アクセント記号は便利であったが、見出し語については、かえって混乱した記憶がある。ところで、本書でも記されているが、春彦氏によると編纂に金田一京助はほとんど関与していないようである。
その当否は別として、国語界において金田一京助(あるいは春彦氏を含めて)は大きな存在であることには間違いない。ところで、本書の帯紙には「金田一京助の内在的論理を実証的に追いながら、近代日本語成立に潜む力学を浮き彫りにする」とある。金田一京助を批判するのはよい。小生も戦後の国語改革については批判的である。しかし、問題は著者の記述から国語そのものに対する愛情が感じられないことにある。著者の考える理想の国語とはどのようなものなのであろうか?
著者のポリシーなのか年がすべて西暦で分かりにくい。また,巻末の年表(西暦であるが)のなかに「明治天皇死去」とあるが如何なものか。
悪口ばっかり
★☆☆☆☆
悪口ばっかり書いている。
研究の本筋を追って批判するのではなく、
研究に関連して本人が漏らした言葉を
いちいち上げ足を取っているだけ。
とてもつまらない、知的好奇心を刺激しない
不愉快なだけの本。
金田一京助像の書き換えを迫る
★★★★☆
これまで牧歌的な文脈で語られることの多かった金田一京助を、この人特有の進歩的というか批判的な観点でズバズバと切り込んで、戦前戦後の一貫した「国語」のあり方を暴き出した一冊。一連の著作と構想を同じくして、たまたま金田一京助も取り上げた、というのが正確ではなかろうか。
少なくとも資料調査や考察は緻密でみごとで、大いに参考になる。その結果、金田一京助のアイヌ語や方言理解の問題を忌憚なく指摘する。いささか感情的な抵抗を覚える人も少なくはあるまい。しかしも純粋に学術なレベルでは首肯できるものばかりである。この点は大いに評価できる点である。
結論として安田氏が言いたいことはおおよそ見当がつく。他の著書でも同様なのだが、もうちょっとそれをはっきり言っていもいいんじゃなかろうか。