門付け芸として習い覚えた三味線と唄。いまや独自の芸境に達した竹山が、勁い響きの中にも哀切な情感のこもった津軽三味線の音に乗せ、八十余年の来しかたを静かに振り返る。 (解説頁・佐藤貞樹)
三味線を聴きながら読むとよい
★★★★★
三味線にまつわる随筆集で,竹山のひととなりがわかる。
三味線を中心に、生活と旅の風情を味わうことができる。
三味線芸 至高の極み。 高橋竹山の 人生。
★★★★★
この本には 高橋竹山さんの壮絶な人生が描かれているが 歌手の北島三郎さんが歌っている「風雪流れ旅」は 作詞家、星野哲郎さんが この著書を読んでいたく、感銘して書いたとされる歌である。
竹山さんが生まれた 当時の日本は ほとんどの人たちがそうだったのだと思うが 暮らし向きは豊かではなく 貧しかった。 その分「大切な何か」が確かにありこの本を読んでいて 改めて感じさせられることは大変に多い。 私も 三味線を手にしていた頃があったが 高橋竹山さんは「サイジリ」( 撥の尻 )でも 弦を弾き また、銅の木の部分を 叩いて音を出す。器用さは 才能でもあるが 三味線を知っている者にとっては まさに至高の極み。
竹山さんは晩年、大成されたが それも「運命」他なく、人の人生は 本当に 不思議としかいいようがない。 だからこの本は 面白い。
2010/06/24(追記)
本書中、いたく心を打たれた処がある。 それは、竹山さんが生活のために「三味線をやめた」と
青森の盲唖学校に入学する。 その後で「学校には入ったが三味線は離さなかった。 これのために
苦労してきたんだから、離す気になれなかった」と言っている下りである。
言葉がない。
重みのある言葉が 随所に出てくる。
生で聴いてみたかったーーー
★★★☆☆
津軽三味線を習ってみたいなーーー、なんて軽い憧れから読んでみました。三味線に関するヒント的なものは初心者には皆無です。しかし、とても興味深い内容でした。まずこれは有名な話なのかもしれませんが、津軽三味線(三味線だけではなく、今で言う大道芸)というのは、もともとは生活する能力がない全盲の人などが、各地を放浪して芸を披露して、お金をもらっていたということからスタートしているということですね。しかし、どのような「芸事」でもスタートはそのようなものなのかもしれません。高橋竹山は幼くしてほぼ盲になり、(当時は珍しくなかったそうです)しょうがなく三味線をやったといってます。途中でなんどもやめたくなったりしましたが、尺八を独学でプロ並みに身につけたり、三味線の師匠から早々と独立を認められたり、もともと非常に才能がある人だったようです。あまり書くとネタばれになりますのでやめますが、「しょうがない、これをやるしかなかった」から「アーティスト」として若者から大絶賛されることになる過程は読んでいて、さすがという感じがしました。
一度彼の演奏を生で聞いてみたかったです。DVD買ってみようかなーー。
芸の成り立ち
★★★★☆
1975年に新書館から出た『自伝−津軽三味線ひとり旅』の改題・文庫化。
高橋竹山は津軽三味線の奏者として活躍し、全国にその名を知られた人物(故人)。本書は佐藤貞樹氏が7〜8年にわたって竹山に取材を繰り返し、書き溜めたノートやテープから「自伝」をつくりだしたもの。竹山の津軽弁の語りがそのまま活かされており、臨場感がある。
ただし、語られているのは戦後すぐくらいまでの前半生のみ。失明した頃、少年時代、三味線の師匠に弟子入りしたこと、門付けして歩いた日々、盲学校に通ったことなど。このあたりを読むと、戦前の津軽三味線が施しを受けて回るための道具であったことが良く分かる。現代の芸などというものとは程遠い存在なのだ。貧しく凄惨な日々だ。迫力がある。
三味線を「芸」として認識し、腕を磨き、のしあがっていくあたりが書かれていないのが残念。
貴重
★★★★☆
この記録は単に独りの津軽三味線名人の口述自伝だけでなく、昔の日本の生活史としても興味深いかもしれない。高橋竹山の生きた時代の日本の空気も伝わるし、今では衝撃的な話もあったりする。そのナマの生活の中からきらと光る言葉には 説得力があって、民俗音楽だった津軽三味線を世に知らしめ、人間国宝級とまで昇華させた力強い記録だろうか。津軽弁で通したのも味が伝わり良いと思う。その三味線を集中して聴けば、繊細で洗練され 磨かれ、知的に聴こえるのだけど。。。音楽の演奏と聴衆との関係について触れる話などは大変興味深い。