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広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書)

価格: ¥903
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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もう一つの「落日燃ゆ」 ★★★★☆
 戦前に外相、首相を務め、東京裁判では文官として唯一人絞首刑となった広田弘毅の生涯は、城山三郎の「落日燃ゆ」で、高潔な人、裁判で黙して語らなかった人、家族を大事にした人として高く評価され、TVドラマにもなっている。本書は、日本外交史専攻の著者が、公文書等一次資料に当り各文献には検証を加えながら描いた広田の実像であり、客観的で抑制の効いた筆からは、城山の小説広田像とはまた違った貌が現れる。
 本書によると、若いころの広田は政談好きの反主流派(中国派)の職業外交官としてまずまずの仕事をしているが、閣僚としては意外に凡庸である。軍部の横暴への抵抗が難しい時代、外交上の難問が山積みの時代であったとしても、首相としては「軍部大臣現役武官制」の復活を安易に認め、近衛文麿内閣の外相としては「国民政府を対手とせず」声明やなし崩し的な日中戦線拡大への対処は拙いし、重臣会議メンバーとしての日米開戦や戦局悪化への対応も手ぬるい。広田には意思の弱いところがあり周りの人の意見に流されやすく、外務省の後輩からは辞表を出され、近衛流ポピュリィズム政治に染まって冷静な外交判断ができない。
 ただ戦後の東京裁判は気の毒であった。「平和に対する罪」、「人道に対する罪」という事後法によって起訴され、判決は6対5の僅差で死刑となる。その前には近衛の自殺と松岡洋右の病死もあり、文官として唯一人責を負わされた面もあろうし、法廷で声高に自己弁護しなかったのは、他の戦犯容疑者達の恫喝や保身行為にいやな思いを持ったからではなかろうか。
 広田の信条は「自ら計らわず」、最期の言葉は「身を殺して仁をなす」(論語)であり、個人的には人間的魅力を感じるが、難局にあっての一国の指導者としては胆力に欠けており、国民にとっても不幸なことであった。
「功名心」にかられた本 ★☆☆☆☆
広田に対する感情移入が十分ではないと思いました。城山三郎さんは「時代」を知っているだけに広田の心情がよく分かったのではないかと思います。昭和43年生まれの著者は知識だけで広田を語ろうとし、自らの思いこみありきで資料を理解して書いているような気がします。著者が広田の立場だったら、著者は広田のように勇気をもって行動できるのでしょうか。とてもそうは思えません。城山作品の事実誤認を指摘していますが、これもいかにも「偉そう」で快い感じがしませんでした。会話文も用いていますが、著者自身が書いた会話文にだって虚構があるでしょう。城山作品は人間広田の内面にまで食い込んで(フィクションもあるにせよ)、情感がありますが、この本は頭でっかちの人が情もなく書いたという感じです。
哀しき平凡のもどかしさ ★★★★★
広田弘毅と言えば小説『落日燃ゆ』の残像が強い。
自分も『落日燃ゆ』の清冽で透明な人物像に違和感を覚えながら、
大きな影響を受けていたことは間違いない。

その幻想を、現存する資料から再点検しているのが本書。
本書のおかげで、透明で実体の無い影絵が
ようやく血肉を持った人間として見えてきたような気がする。

だが、結んだその人間像は予想外に平凡。
彼は優れた為政者でも傑出した外交官でもなく、
現代にもいるようなごく普通の政治家だった。

底の無い善人ではなく、だからと言って倫理に反する人でもない。
自ら道を切り拓いていく先駆者としては部下に仕事を流しすぎる。
後進を育て導く指導者にしては情熱に欠ける。

穏健な平和主義者であることは間違いないが、
裏を返せば優しすぎて自分の意思を通しきれないとも言える。
ややもすると壁に当たったときに情熱をなくし、
その場の流れに巻かれてしまう弱さもある。

確かに“その時”に自分の意思を貫くことは難しい。
けれど、それでもだ。

だからこそ、運命の分岐点で熱意を失い、
大勢に迎合してしまうその姿がもどかしく哀しい。

本当は、この人を憐れんではいけない。
次の戦争を起こさないためにも、
公人・広田弘毅の執政は過去の失敗として断ずるべきだ。
しかし、この人が極刑に値するほどの罪を犯したとは思えない。
私人としてならば、俺はやはりその死を悼みたいと感じている。

感想はまとまらないが、『落日燃ゆ』に好感でも反感でも
何らかの感情を持ったなら読むべき一冊です。
歴史認識に疑問があります ★★☆☆☆
偏見に基づいて書かれているという印象が強い本です。たとえば、玄洋社を悪と決めつけ、広田が玄洋社の社員だったことを、広田批判の根拠にしており、昭和天皇が広田を批判した(と書いてあります)ことも、広田批判の根拠にしています。そして、ところどころで広田の功績に触れ、広田を一方的に糾弾するものではないように思わせながら、戦前の日本は、広田の責任で悪かったのだと誤解させるように、巧みに誘導していくような書き方をしています。
 しかし、玄洋社は、国会開設やアジア諸国の独立などに尽力した団体です。特に、孫文には支援を惜しみませんでした。玄洋社がなかったら、辛亥革命もなかったでしょう。玄洋社が解散させられたのは、GHQによる日本人の洗脳に邪魔だったからで、玄洋社=悪というのは歪曲です。また、昭和天皇は、広田を批判できる立場ではなかったはずですし、昭和天皇のお言葉を伝える説には、不自然なものが多いのが実情でしょう。
 更に、南京大虐殺を敢えて南京事件と表記し、何の疑問も提起せずに当然の前提としていること、対華21カ条要求を日本批判の根拠にしていること等も疑問があります。近年の研究では、対華21カ条要求はシナ側の要請によるものとの説がありますが、そういう点には触れていません。
 広田が外務省の主流派に属さなかったことや、三菱財閥令嬢との縁談を袖にしたことを紹介しながら、広田は出世欲に取り付かれていたとするような書き方も不自然です。
 何も知らずに読むと、大日本帝国は悪の帝国であり、悪の帝国を代表するのが広田であり(東條でも近衛でも、ほかの誰でもない)、広田さえいなければ、まったく別の歴史になっていたと思わせる書き方をしています。昭和史に深い知識のない人は、細心の注意を払って読むべきでしょう。
これが本当でしょう。 ★★☆☆☆
 城山三郎『落日燃ゆ』で描かれた、悲劇の宰相・広田
弘毅という肖像を補正しようとしています。
 まず、東京裁判での死刑判決前の彼の胸の内を探り、
それが必ずしも不動でなかったことを明らかにしていま
す。刑死が身近に迫って、誰が動揺せずにおられましょ
う。それが自然というものです。
 また、盧溝橋事件の直後から、国民の歓心を買うよう
に軍部に先手を打ち、戦火の拡大に走った近衛内閣の
外務大臣であった彼に、軍部の独走に負けたという評
価は不適切という見解も合点がいきます。折角ですから、
広田が承認した軍部大臣現役武官制の復活が、陸軍の
内閣人事の介入を招いたという見方も検証して欲しかっ
たと思いました(筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治』
参照)。
             *  *
 博士論文を、そのまま新書にしてしまうような風潮が
横行(例えば、寺尾紗穂『評伝川島芳子』(文春新書))
している中で、本書がじっくり熟成した味わいだったの
は、さすが新書の老舗というべきでしょう。