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女学校と女学生―教養・たしなみ・モダン文化 (中公新書)

価格: ¥819
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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女学生をとおして読む近代史 ★★★★☆
「女学生」は、今では古風な印象さえうける言葉だ。そう、例え
るなら「女子大生」が蘭ちゃんなら、「女学生」は「先生♪」と呼ぶ
昌子ちゃんだ(たとえが古っ!)。しかし、本書を読めば、その印
象はガラッと変わるだろう。この本は、主に1899年の高等女学
校令制定から戦前の20〜30年にかけて生成されていった「女
学生」の数々の言説をひもとき、「女学生」とは何かという問い
とともに、女学生の周囲に形成された言説空間も描き出すこと
に成功している。

時代は明治から大正にかけての、日本国家が急速に近代化を
遂げていったまっただ中。その激流の中で生まれたのが、「女
学生」という存在だ。そんな彼女らはいわば当時、自国の「たし
なみ」の文化と、西洋から流入してくるモダンな文化をハイブリッ
ドに享受する、ハイブリッドな存在だったのだ。

当時の「大人」たちは、そんな彼女らが「文学少女」であろうが、
「不良女学生」になろうが、ミッションスクールに通おうと、どう振
る舞おうが「軽薄」だの「虚栄心」だのといい否定していた。そん
な外部からの彼女らに向けられた嘲笑や批判、蔑視の眼差しと
いうのには、良妻賢母に象徴される「お国」に貢献する女性像へ
なかなか収まらない彼女らへのいらだちであることはもちろんの
こと、変わりゆく日本を前にして彼ら自身が苛まれていた存在論
的な不安の裏返しであるということも、この著者は見逃さない。

女学生としての時代を、外部の喧騒から閉鎖された特異空間で
過ごした彼女たち。この本でもう一つ明かしているのは、彼女た
ちの「エス」と呼ばれる同性同士による強固な友愛関係だ。思う
にそれは当時、卒業後に「結婚」の他に対して選択肢の与えられ
なかった彼女らが、その後にもろにさらされてしまう社会の脇役
としての「現実」に耐え抜くために予め築いていた強力な靱帯だっ
たのだと夢想すると、彼女たちがいじらしくもあり健気にも思えて
くるのだ。
近代日本の学生文化の隠れた一面を印象深く描く! ★★★★★
 社会教育学者・竹内洋の著作物追っ掛けをする中で、その弟子筋の稲垣氏の名前を見つけ、文章も多少読ませて貰ってゐた。竹内が行なってゐる近代日本の学生文化への社会学的アプローチの周辺に、本書も存在する事から、古本屋で取敢へず買ひ置きし、今日漸く読み終ったわけである。
 率直に言って標題の内容に私は、かなり舐めてかかってゐたと思ふ。竹内の物する旧制度での学生文化についてかなり読んでゐたからその亜流に過ぎないと漠然と見做してゐたのである。
 所がどうだらう。女学校、女学生文化について殆どその内実を私は理解してゐなかったのである。現代女子学生にも通じる乙女チックな情緒あふれる女学生文化が確乎として存在し、近代化の中で日本女学生文化、教育がどう位置づけられ、展開したかをはっきりとした輪郭で描いてゐたのである。
 更には、正統学生文化の映し鏡とするやうな女学生文化の推移も秀逸にも指摘してゐるのである。今まで十分教育社会学的に位置づけられてゐなかった分野を陰翳深き近代日本の諸相の一分野として明らかにしてくれたと言へよう。これは、横綱相撲のやうな力作と言っても全く言ひ過ぎではないと信じる。
批判の系譜が意味するもの ★★★★★
新書であるから当然、興味本位で手に取っていい本であるが、内容はいたって真面目な研究の成果である。

女学校や女学生に対して、ある種の「軽佻浮薄」さや「虚栄心」を読み取り、それを批判するという系譜が近現代日本には連綿としてある。だが、その批判は実は批判者自身の似姿に対して行われているのだという指摘は興味深い。「女学生文化」に対するアンビヴァレントな感情は、近代日本社会の西洋文化受容の過程の反映であるいう本書の議論は、おそらく正鵠を射ている。