数少ない韓国製ベトナム戦争映画
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ベトナム戦争を扱った韓国映画は、極めて少ない。朝鮮戦争後、韓国最大の出来事だったはずだし、アメリカでは多くのベトナム戦争映画が作られていることを考えると奇妙に思える。何故だろうか。
韓国映画としては珍しくベトナム戦争を扱ったこの作品の直接的なターゲットは、ベトナム世代の男性たちだろう。当時の流行歌を今の娘に歌わせ、往年の戦士たちを劇場に集める作戦だ。タイトルチューン「ニムは遠くへ」をはじめ、今のK-POPとは毛色の異なる泥臭い歌謡曲を、21世紀の女優が熱唱してみせる。
唯一の洋楽として「スージーQ」が使われているのは、コメディ要素を強調するためだったと思われる。韓国ではこの曲のCCRバージョンが有名コメディアンの出囃子として使われていたので、イントロだけで笑いを誘えるのだ。ただし最後の公演シーンではこの曲をストーンズばりに不良っぽくキメてみせ、内気だった主人公スニの成長と決意の大きさを表現していた。曲の使い方が実に上手い。
主人公スニは愛のない結婚生活を送っていた。詳しい描写はないが、好き合って結婚したのではないことが示されている。ソウルの大学に通っていた夫には、山出しのスニに興味が持てなかったのか。昔の女を忘れられない夫は、結婚早々逃げるように入営し、その後何も言わずにベトナムに行ってしまう。家の存続しか頭にない姑は、すべてをスニのせいにして追い出しにかかる。出戻ろうとしても、体面を気にする実家は許してくれない。強固な血縁社会で身の置き場を失ったスニは、夫に会うためベトナムに渡ることを決意する。
しかし民間人が自由に海外へ行ける時代ではない。思案に暮れるスニだったが、怪しげなバンドのボーカルとして渡越に成功する。だが英語のできない素人歌手に米軍基地での公演が勤まるはずもなく、ブーイングを受けて消沈する。苦肉の策で韓国軍人の前で「鬱陵島ツイスト」を歌ってみたところ大受けし、バンドは韓国軍専門の慰問団としてツアーを開始する。
バンドは順調にツアーを続け、スニのパフォーマンスも洗練されていくが、あるとき解放戦線に捕まり、地下トンネルのアジトに連行されてしまう。死を覚悟したが、解放区のベトナム人は優しく、歌を通して交流が始まる。それもつかの間、アジトが米軍に急襲された。米軍はベトコンを無慈悲に射殺していくが、韓国人バンドは友邦人として救出される。夫に会う最後のチャンスと考えたスニは、米軍基地でステージに立った後、将校に身を投げ出し、便宜を図らせ夫のいる戦場へたどり着く…
この映画でどうしても不可解なのが夫の設定だ。妻を愛することもできず、ただ逃げるだけの男。ベトナムに行ったのも、軍人の使命感から志願したわけではなく、営内の不祥事で飛ばされただけ。もちろん戦場でも役立たずだった。戦地でも妻のことなど思い出しもしない。
懐メロと若い娘の脚線目当てに劇場に詰め掛けたオッサンたちも、これには困惑したに違いない。外地に駆り出されても健気に働く善意の兵士になら、すんなり感情移入できただろう。しかし、気のいいバンドマンたちとは対照的に、夫は徹底してシンパシーを持ちにくい、陰気で不誠実な男として描かれ、映画全体のテンションを下げている。モチーフにした曲「ニムは遠くへ」の歌詞の内容が、男に尽くした挙句捨てられた女の歌なので、それを反映したということはあるだろうが、それにしてももう少し強い男にできなかったものか。
冷戦が終わり、民主化と経済成長を達成した韓国には、「ベトナム戦争は誤った戦争」という認識が外から入ってきて、ある程度定着した。ベトナムを被抑圧者、米軍と韓国軍を抑圧者として描いているのは、そのような風潮の影響だ。しかし、夫のキャラにはなお疑問が残る。末端の兵士なら善良に描けたはずで、そうすれば映画は感動のクライマックスを迎えただろう。
韓国はアメリカとは違い、ベトナム戦争を単純な反省の対象としてのみ扱うことが、まだできない。分断国家という冷戦の最前線にあって、亡国の危機感を常に抱えていたアジアの貧国が、同じ境遇の南越を支援しに行ったことは、当時の韓国内の価値観としては決して間違ってはいなかったという主張もある。また、多大な犠牲を払い、その対価として多くの外貨と米国の信頼を得たことは、その後の経済的飛躍に直接つながっている。ベトナム参戦を全面否定することは、現在の自分たちの否定になりかねない。 連戦連勝を重ね、世界最強国になっていたアメリカが、初めて喫した黒星としてベトナムを振り返るのはある意味余裕の産物なのだろうが、韓国はそうは行かないのだ。
だから、あまりに韓国兵をダークに描き過ぎたり、ベトナムを絶望の戦地としてのみ扱うことは、現在の韓国では難しく、直接的な反発も買うのだろう。だが逆に兵士をあまりにイノセントに描いたり、すべてを戦争のせいにして誰もが気の毒だったとしてしまうことは、陳腐な反戦映画になってしまうのみならず、当事国の人間、ベトナム戦争の果実を享受する現代の韓国人としては無責任になってしまう。
このような複雑な事情があるので、韓国の映画人はベトナム戦争映画を作りたがらないのだろうか。この作品では、何重にもなった矛盾をコアターゲットの中高年男性に考えさせる機会を与えるため、あえて夫を好意を持ちにくい存在にしたのかもしれない。
幾多の死線をかいくぐり、ラストシーンでスニと夫は戦場で再会する。だが、見る者に感動は与えない。苦労して会うほどの価値が夫に見出せないからだ。娯楽作品なのに、最後のカタルシスを拒んでいるかのようだが、おそらく制作者は安易なカタルシスや都合のいいノスタルジアを与えることはしたくなかったに違いない。
戦争の中心で浮気を叱る
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★★以下ネタバレあります★★
「あんたは戦場がどういうところか知らないんだよ!」。
そう姑に言われたスエが、夫に会いに行くために戦地ベトナムへと足を踏み入れる。ところが着いたのは、「ここは本当に戦場なんだよな?」(バンドのドラマー)と疑いたくなるほど、にぎやかなサイゴンだった。しかし、次第に戦争はスエたちの前にその姿をあらわにする。戦争がどういうものかが分かるにしたがって、スエの夫に会いたいという気持ちはどんどん高まってゆく。会えなくなる前にひと目会わなければ・・・。
夫に会って、浮気を叱る。そんな簡単なこと、当たり前のことができないのが戦場だ。
その実行にやっきになるスエに、観ている側は少々いらいらさせられるだろう。「なんでこの人はそんなばかばかしいことに、命をかけているの?ここは戦場なんだよ!」と。しかし、ちょっと待ってほしい。そんなくだらないことができない世界(=戦場)のほうがおかしな世界なんじゃないのか?そんな当たり前のことを、当たり前と認識できない価値観、それが支配する世界(=戦争)のほうが変なんじゃないのか?全体に妙に浮いているスエの姿はそんなことに気づかせてくれる。
それがもっともよく表れるのは、走る兵士が執拗に前を横切る最後のシーンだろう。完全にリアリティゼロなのである。しかし、「ありふれたシーン」を「ありえないシーン」としてしか描けないということに、《戦争とは何か》という問いへの一つの回答が示されているように見える。
もうひとつ。この映画では韓国のベトナム戦争とのかかわりが強く意識されている。
ベトナムにおける韓国の加害責任をこれほど正面から扱った映画は少ないのではないだろうか。製作者の思慮深さと入念な調査、それに意気込みが随所に感じられる。米兵・韓国兵とベトコンの描き方の違い、韓国兵が村で徴発を行う場面、・・・。
もっとも印象的に描かれているが、バンドのメンバーたちが歌によって命びろいをするシーンだ。彼らは、歌をうたうことによって2度ほど命をとりとめている。しかし、その2つの場面が極めて対照的なのだ。2度目は米軍に捕らえられた時。米兵に銃口を向けられるなかで米国歌をうたう彼らの表情に、当時の韓国人の苦悩が表されているのかもしれない。しかし、それを見るベトコンの人たちの視線の厳しさには・・・。胸が締め付けられる。
「平和とは何か?」ベトコンの指導者はバンドのリーダーに問いかける。
ベトコンに捕らえられた、命びろいの1度目の場面だ。ここまで、強い意志と実行力のかたまりのように突き進んできたリーダーが、このときばかりは思わず「っへ?」というすっとんきょうな声を出してしまう。そんなこと、考えたことすらなかったのだ。そして、ひねくり出した答えはまったく受け入れられない。ここでスエが屹然と放つ言葉には、――スエはどういうつもりで言ったのか判然としないが――やはり《平和とは何か》への一つの回答が込められているように思うのだ。平和とは「戦争(=非日常)における平和」(リーダーの答え)などではなく、当たり前のことが当たり前にできる、まさに「日常」を取り戻すこと。それは敵/味方を超える力を持つ。だからこそベトコンの指導者も銃口を下ろすことになったのだろう。
とにかく画の撮り方がうまい。印象的な場面がたくさんちりばめられているし、すっとその世界に入って、慰問バンドを水先案内人とした戦場をめぐる旅を満喫することができる。それでいて(だからこそ)、戦争や平和についてさまざまに考えさせてもくれる。傑作である。
歌手志望だったスエssiの演技に注目
★★★★☆
ポスターやDVDのカバーを見る限り“戦争映画”かな?と思いましたが,実際は,「ラジオスター」「楽しき人生」に続く“音楽三部作”の最終章とも言われる映画で,1970年頃の韓国でのヒット曲をスエ自身がエネルギッシュに歌っています。
音楽が人々の心を和ませ,楽しませ,生きる活力を与えてくれた,そんな時代の熱気を感じさせてくれる映画ということで,ターゲットを韓国の中高年に設定していますから,日本でウケるかどうかは疑問です。
ただ,スエssiの演技は見事で,オドオドしたド素人の田舎娘が,少しずつ自信をつけ美しくなっていく様子が自然で,嫌味がありません。スエssiは元々歌手デビューを目指していたそうですから,歌には自信があったみたいですが,役者の道を選んで正解だったと思います。
ストーリー的には,スニ(スエssi)が,志願してベトナム戦争に行った夫のサンギル(オム・テウンssi)を探しに行くというラインはありますが,ほとんど音楽がメインの作品となっています。構成上ベトナム戦争の戦闘シーンも入っていますが,戦争映画ではありませんからオマケのようなものです。
水墨画のような映画
★★★★☆
新潟国際映画祭で見た映画です。最近人気の韓国映画らしく座席はほぼ満席でした。
色彩を抑えた画面構成が、抑圧され軍事政権下にあった70年代の雰囲気をよく伝えています。映画の解説に「水彩画のような映画」とありましたが、その解説がぴったり当てはまります。
主演のスエの淡々として抑えた演技が、この映画の全てと言っても過言ではないでしょう。歌手デビューの話もあった彼女らしく、劇中で歌う場面はどれも余韻が残る響きをもっています。(ドラマ「美しき日々」でヤンミミが歌っていたあのヒット曲も登場します)田舎の嫁として生きていた彼女が、歌を通して自己主張を持つように生き生きと成長していく姿は必見です。
愛情を感じられず、ベトナム戦争に行ってしまった夫役にはオム・テウン。彼は最初と最後の場面しか登場せず、助演の扱い。むしろベトナム戦争の最中、彼女と行動を共にするどうしょうもない人生を送る男優達とのコントラストが非常に考えられていて興味深いです。ラスト、夫と再会する場面で終わるラストは余韻を残ししつつも少し中途半端な印象を受けたので☆ひとつ減としました。