透明な文章で綴られた、生きて在ることへの静かな想い
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「こころのままに」とはよく云うが、「からだのままに」とは云わない。しかし、本書を読めばその意味がよく解る。医師として、また鬱を乗り越えた者として、南木佳士氏が綴るここに収められた小文選はどれもみな味わい深いものばかりだ。
「書かれた言葉が次の世界の入り口となり、そこに見えてくるものを記述するとまた異なった視点に立てる」(74頁)。
「死が身近にありすぎる日常は、自分のよって立つすべての根が、じつはとてつもなく脆いものだという冷徹な事実のみを教えてくれた」(79頁)。
「いかなる想いを抱こうと自分のからだの苦楽からは自由になれないのだから、結局のところ人生における最大の危機とは、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされる現実をおいて他にない」(112頁)。
いつもながら済み切った南木氏の文章もまた、「人がその地の自然によって作られるものである」(95頁)ことの例証なのであろう。喧騒を離れた場所で静かに味読したい一書である。
生かされている自分 その心象表現
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2004年から2006年にかけて種々の媒体に発表されたエッセイ。
そんな訳で、初めて読まれる方にはある種繰り返しが多いように感じられるかもしれない。
臨床医師として、文学界新人賞、芥川賞と華々しい流れの中に身をおいた南木さんではあるが、終末医療に携わる中でストレス障害からうつ病へと体調を崩されていく。書くことも読むことも出来ない中で、徐々に、生かされている自分を見つけ出し、医師として、また作家として復帰する。個人的には病気から復帰後の作品に強く惹かれ、己の心の波長に同調する。
いくつかの心に残る言葉。
五十歳すぎてようやく日本史の勉強を始めている。そもそも日本という国名がいつから用いられるようになったのか。そのあたりを論じる書物を読んでいると、家の前の見慣れた田園風景すら微妙に様相を変えて身に迫ってくる。 p89
小説を書き始めたのは、医師になって二年目あたりで、人の死を扱うこの仕事のとんでもない「あぶなさ」に気づいたからだった。危険を外部に分散するために書いていたつもりだったが、それは内に向かって毒を凝縮する剣呑な作業でもあった。 p106
だから若月先生を「農村医学の父」だとか「現代の赤ひげ」と無邪気に称する気にはなれない。しかし、この病院に来なければ、高邁な理想と酷薄な現実が医療現場でどのように折り合いをつけるのか、という、大人としての最低限身につけねばならない教養(生きる知恵)を得られなかったと確信している。 p113