本書の構成は明瞭で、1章でアリストテレスの悲劇論を紹介し、2章でマルコ福音書に、3章で福音書を超えて(想定された)イエスの事件にそれらを適応し、4章でその後のキリスト教がこうした悲劇的なるものからいかに距離をとり、しかしなおそこに残っている響き聴き取る。
この小著の中で、悲劇論を「マルコ福音書」「前マルコ受難物語」「原始キリスト教」へと、史層を次々に遡って、その視角の可能性を開いてゆくさまが迫力に満ちていて凄い。
また何しろ小著であるため、その資料を同定する論証過程は一切排除されているが、第2章でマルコ福音書から「前マルコ受難物語」に遡り得る資料として提示されているテキストが非常に興味深く、(それが3章の「想定」の論拠ともなっている)ある意味で読者が「原テキスト」にほぼ直接対峙できる形になっているのも有益である。
小著とはいえ、筆者は20年以上前にこの小著に結びつく最初の発表をしているのだから、当時30代前半だったはずである。そしてこの年齢は、イエス研究者がほぼ例外なくイエスの磔刑死の年齢と自らを競わせるように意識し易い年齢なので、その意味では軽い「エッセイ」ではあり得ない。本書は2000年8月に出版されたが、冒頭の文庫版時代史の方は2003年に出版されたため、この間の社会的動揺が、後者には映し出されており、イエスの想定にも幾つか踏み込んだ箇所がある。併せて読むと良いと思われる。