パレツキーが故郷カンザスを舞台に描いた重みのある大作
★★★★☆
女性私立探偵<V・I・ウォーショースキー>シリーズでアメリカ・ミステリー界をリードするサラ・パレツキーが少女時代を送った故郷ともいえるカンザスを舞台に書いた、ミステリーではないノン・シリーズ作品。
ストーリーは主に農場を営むグルリエ家の4人家族を中心に展開されるが、彼らの祖先はもともとフリーマントル家とシャーペン家と共に1855年にこの地、コー・ヴァレーに移住してきて隣人付き合いをしていた。しかし、今ではフリーマントル家は当主を失って無人化し、シャーペン家とは信教をめぐって対立していた。
そんな時、フリーマントル屋敷に親戚筋の女性がニューヨークから移り住み、グルリエ家に波紋を投げかけることになる。
その女性ジーナに誘われて、異教の儀式に参加したり反戦運動を始めたりする母親スーザンと対立して、息子のチップが軍隊に入隊し、イラクに派兵され戦死してしまう。スーザンはその痛手から寝たきり状態となり、父親ジムと娘のラーラも心を通わすことができずに家族はバラバラになってしまうのだ。
この物語は、主にジムやラーラの視点を軸に進行してゆくが、彼らの心の揺れや言動を通して、思春期を迎えた子供と親との断絶、夫婦の絆、家族の絆、隣人たちとの軋轢、町や学校での噂の広がり、青春期の恋愛など数々の問題を描いている。もっと観点をおおきくすると、男女平等、イラク戦争、宗教の問題まではらんでいる。かつては未開の大草原で肩を寄せ合うように暮らしていた人々も、歳月が過ぎ、激動の現代においては、世界と無縁ではいられないのだ。
本書は、ある家族の物語であると同時に、現代社会でのさまざまな問題を織り込んだ、パレツキーがいつか書きたいと思っていた重みのある大作である。
三つの小さな帆船と赤毛の仔牛と
★★★★★
サマータイム・ブルース ゴースト・カントリー わたしのボスはわたし ブラッディ・カンザス
誰かが迫害を受けているときに背を向ければ、その残虐行為に加担したのと同じこと。サラ
いまは逢うことも叶わぬ昔の恋人サラの書物の森を彷徨い、島島を流浪していると、ひとフレーズごとにあのひとの息吹きに触れて、《彼女こそスター=マリーアだ!》いつしか心も癒されていく。だから[……]もここ数日間は止っているのかも知れない。肉体の癒しが瀬音の湯で得られるのなら、あたしの心の癒しはサラの書物の森と島島に任せておこう。
今日はナイト。夕方5時から朝5時までの0.5日分の出番だ。出掛けに郵便受けを覘くと、『わたしのボスはわたし』が届いていた。胸に抱きしめる、幸せばかなあたし。鳥居坂を下ると、「遠回りじゃない」とほざく新橋から六本木ヒルズまでの嫌味な女客を落とすなり、晴海に直行する。アキテーヌで震える指先で堅固な包装を剥しにかかる。ふと見あげると、レインボーブリッジの電飾が白から緑に変わっていた。
『ゴーストカントリー』はサラの作品群に在って、なぜか、カルヴィーノの『蜘蛛の巣の小道』(白夜書房)第9章を想起させる。作家としての述志の気配が濃厚に漂うからだ。ヴィクは不在でも、これはサラにとって、重要な作品、いや書き終えねば前に進めない作品だったに違いない。
『わたしのボスはわたし』 I get to be my own boss... ヴィクからは少し離れるけれど、「鬼婦長」の話もいい。ヴィクには合気道の達人になって欲しい。そうすれば、襲いくる巨漢・悪漢を指一本触れずに投げ飛ばせるし、八十五歳になっても、矍鑠たる現役女探偵だろうし、体術・頭脳ともにますます冴え渡り、凄みを増すことだろう。誰か、サラに親しく、談じ込んでくれないものか。
……そうだ、最新刊の「ブラッディ・カンザス」も早く読まなくては……
サラの書物の森と島島を流浪し、ひたすら西へと流れゆく果てに出会ったのは、碧色の大海原にも似た《カンザスの大草原に浮ぶ三つの小さな帆船》たちの物語、そう、『ブリーディング・カンザス』だ。机竜之介のいない『大菩薩峠』中の一巻を読むにも似て、ヴィクのいないこの長編小説を、期待に多少の不安を交えながら読みだす。この大冊を書いて訳した著者と訳者の労苦が偲ばれる。そしてその労苦の中に見出される密やかな喜びも。なぜなら、書いて訳す者たちの端くれだから、ぼくもまた。
昨日は終日、母の引越しの手伝い、せめて今日、明日は読書に専念したいのだが、……
あーあ、それにしてもなんとスリリング、素敵な感動的出会いなんだろう、これは!
仔牛の小屋でひと騒動――
《三人の背後で小屋の扉が閉まった。ロビーは子牛を両腕で包みこんで、やさしくなで、濡れた脇腹を自分のシャツの裾で拭いてやった。もうじき、飼葉桶に新しい干し草を入れる作業にとりかかるだろう。ラーラを見つけるだろう。牛の糞にまみれ、自分のおしっこに濡れた、チップの野戦服姿のラーラを。
恥ずかしさのあまり真っ赤になりながら、ラーラはおきあがった。「ロビー? ロビー、あたしよ」》
難渋していたのに、ここからはほぼ一気に終章近くまで読んでしまった。サラも一気呵成に書き上げたことだろう、翻訳も捗ったことだろう、ここからは。いまは読み終えるのが惜しくなった。また明日、か明後日……
あっ、印象的な出会いの場面なら、まだある。
《「ロビー! あたし、小麦粉容器のなかよ、内側からじゃあけられないの」
ロビーはようやく身体をおこし、手と膝で這いながら、ラーラの声を追って容器のところまで行った。うずく陰嚢を押さえたまま、取っ手をひっぱると、容器がひきだされた。クモの巣と百年前の小麦粉の白い残骸におおわれたラーラが出てきた。》
ラーラは少女時代のサラに、ジーナは作家の卵時代のサラに重なり合うように思えてならない。ふと目を転じ、……
寒桜 仔牛も啼けり 春の陽に エリサ