ブログ?
★☆☆☆☆
何ていうかまさしくただのブログでした。校正はされていないと思います。何故か著者の自慢話が延々とつづきます。著者の知り合いの方なら面白いのかもしれませんが。
好みが分かれる本なれど笑えます
★★★★★
女性ルポライターらしい視点を貫き通した本。頭を使わずして読めるところがお勧め。
読む必要ないです
★☆☆☆☆
内容はゴミ。
色々書いてはあるが要は自分が如何に美人かという事を自慢したいだけの本。
まぁ実際美人だから虚偽を書いている訳では無いが。
「女」目線の「女」政治家ミシュラン
★★★★★
丸川珠代、片山さつき、佐藤ゆかり、小池百合子、野田聖子ら、主に9人の女性政治家に関するルポタージュ(実際は20人近く言及されている)。内容は、男性秘書のヒザに手を置きながら「女」全開で受け答えをする丸川に「鼻をならし」つつ、また、オヤジしか読まないだろう業界紙を片手に、自説をとうとうと語る片山に「後で高熱を出し」つつ試みられた取材結果と、それを受けての著者の考察が綴られている。各ルポの合間にコメントが散りばめられる構成のため、論点は多岐にわたるが、主要なポイントは2つ。1:タイトルのとおり、今後女は、「真の意味で」国政を動かすポジションを占めることができるのか(「お飾り」状態を脱することはできるのか)?2:また、日本社会において女は、「真の意味で」男と対等に働くことができるのか?・・という2点である。
1:について、著者は、派閥政治に賛成ではないが、本当に国政を動かすことを考えるなら、女政治家たちはもっと派閥結成を視野に入れるべきだと主張する。「派閥批判なら派閥政治を通過してから!」ということだろう。また、女性議員の数と影響力を増やすため、アファーマティブアクションのような女性優遇策が取られがちだが、これにも疑問があるという。そして、「子供の面倒をみながら側に寄り添う男性議員の妻」という構図はみるが、その逆はみないことから、家事育児が女性に任されがちな社会であることが、女の政治進出の大きなハードルとなっているのでは・・とも述べる。
そして、2:に関しては、男女雇用機会均等法施行以後、男女平等に関し、「意識と構造のねじれ」現象が起きていると指摘。未だ社会構造は「男社会」そのものなのに、意識のうえでだけは「今や男も女もないでしょう」ということになっているのが、いろいろ厄介な問題を引き起こしているという。さらに、均等法以降、女性の社会進出が進んだものの、従うにたるロールモデルがないことが女性の仕事人生を困難なものにしているとも述べる。また、男性側が重い責任を負わせようとしないため、場数が増えず、そのため女性が社会人として「成長」しづらい状況に置かれている・・とも主張している。
と、このように書けば、男社会への恨み節のようにもみえるが、本書は返す刀で、女性に対する批判も行っており、とてもフェアーである。そこでは、女性は責任ある仕事で失敗すると挽回せず、寿退社に逃げたり、仕事そのものを辞めたりしがちである・・というような、とてもキツイ論評が随所でなされている。
全体として、うなずける点が多く、また、「批判しつつ逡巡し、逡巡しつつも批判する」という論述スタイルにも好感がもてる。なお、前著に引き続き「童顔」アピールも健在!写真写りも本書の方がよいと思いました。
女性国会議員の取材から垣間見える、女性フリー政治ジャーナリストの苦悩
★★☆☆☆
フリーの女性ジャーナリストが描く
小池百合子、丸川珠代、佐藤ゆかり、片山さつき(敬称略)といった
メディアで話題となった女性国会議員9名のルポ。
ただひたすらに、
政治の世界:敷居高く、かつ男尊女卑の典型的な世界に
どんな動機や思想をもち、
どんな手練手具を使いながら女性として入り込んでいくのか、
という視点で描かれています。
スキャンダルとメディア対応、
コネ・人脈の作り方・活かし方。
9人のアプローチは実に様々で、興味深かったです。
学びとしては、
私が「彼女の対応はいいなぁー」と思う女性政治家の共通点として、
・自分がどう観られているのか?
・何をしようとしているのか?
を客観的に理解していること。
そういう意味では、
本書・著者の方は、
本書を通して、何を主張したかったのだろうか?
目的はなんだったのかな?
と疑問には思います。
なぜなら、ジャーナリストとしての客観的な視点よりも、
むしろ取材を通じて、著者自身の
フリーで、女性として生きる著者自身の苦悩がたくさん伝わったので。。
まぁ、でもすぐに読み切れるし、
読んで損はないはずです。