「ポリーニのベートーヴェン」を多くの人々に印象付けたのは、1970年代後半に録音された後期のピアノ・ソナタ集のLPだった。(音楽評論家寺西基之氏の解説より)
★★★★★
「今回の来日(2010年:引用者注)では彼のベートーヴェン演奏の原点となった最後の3つのソナタが演奏される。さすが年齢(68歳:引用者注)ゆえにかっての鋭い切れ味こそやや薄れつつあるものの、明晰なアプローチは変わることなく、以前にもまして表情の豊かを加えてきた今のポリーニが、改めてこれら後期のソナタをどのように聴かせるか、期待がたかまる。」(音楽評論家寺西基之氏の解説より)。
昨晩(2010年10月23日(土)於東京サントリーホール)、初めて聴いたポリーニのピアノ・リサイタルの興奮が冷めやらぬ状態で、書いている。月並みな「素晴らしい」の一言意外にリサイタルを表す言葉が見つからないのがもどかしい。
ポリーニは後期ピアノ・ソナタ集(第30・31・32番)を休憩なしに、一気呵成に弾き終えた。登壇した彼は聴衆の拍手を軽く受け、椅子に座るや否やすぐにピアノを弾き始める。手は鍵盤の上を滑るように左右に飛ぶ。ピアノの音色は当初から電子音かというほど精巧で美しく感じた。白髪で、歩くと心なしか足許が覚束ない様子に見受けるが、イタリア人らしい容貌だ。これで切れ味が薄れてきたとはとても思えない力強い、成熟した演奏であった。
リサイタルに先立ち、当該CDを事前に頻繁に聴き、当日に臨んだ。造詣が深くないせいか、CDと生演奏に大きな差異があるとは思えない。生演奏の違いは、目と耳をともに生かしながら、演奏者を囲む特異な空間に深く入り込むということだろうか。ポリーニは巨匠というに相応しい風格と気品ある音楽を存分に楽しませてくれた。
楽譜の隅々まで照らし出すまばゆい光の魅力
★★★★☆
よくポリーニはその無類の技術ゆえ、温かみがないとか、機械のようだと評される。しかしテクニシャンであって、一体どこが悪いのだろう。ポリーニを避ける人は、この崇高なベートーヴェン後期ピアノ・ソナタ集も評価しないのだろうか。私は曲自体が要求する深遠さとポリーニのテクニックがマッチした本作のような演奏もありだと思う。
私は他のピアニストによる「影のある」演奏も好きだが、本作収録の、ポリーニが楽譜の隅々まで光でくっきりと照らし出す、明晰さ抜群の演奏をよく聴いてしまう。ポリーニの場合、その光が常人より強いのだ。その強さが「ハンマークラヴィーア」では良い方に作用し、逆に第31番、第32番では胸に迫るものが少し足りない感じを与えることは否定しない。しかし、理知的で、聴き通すのに心地よい緊張の維持が必要な本作の演奏も評価されてしかるべき、というのが私の持論だ。
75年から77年にかけての録音だが、音質は全く遜色ない。ポリーニのまばゆい光でしか浮かび上がってこない、ベートーヴェンの心象風景・意識の流れが確かに本作には感じられる。