「信頼ある伝記」と書いたが、私はショパン研究家でもないし、ポーランド語はおろか、外国語はまったくわからない。作品の成立過程を知るべく、ショパンの伝記を探していたらこの書に出会った。
「訳者あとがき」にも記載があるが、ショパンに関する一次資料は乏しく、残された資料は書簡や当時の新聞批評くらいしか無いそうである。なるほど、日記や文芸評論を残す芸術家ならば(シューマン、ワーグナーなど)、楽譜や書簡以外の資料からその時代と本人の感情の動きを推察することができようが、ショパンの場合、資料は書簡くらいしか無いそうで、それも現代のポーランド人が読んでも難解な内容だそうである。そしてショパン研究も目下進行中らしい。
本書はそうした研究の中、一次資料を頼りにショパンの人生を追っている。ショパンが家族や友人宛に送る手紙の内容は切実である。一方、この著者はショパンの書簡のみならず、関係者の文献を掲載することも忘れてはいない(研究としては当然の視座ではあるが)。伝記を綴る者はいささか個人的な思い入れを文章に反映してしまうケースが散見されるが、本書では邪推を排し、作曲家の実像に迫ろうとしている。この点は非常に好感が持てる。
あいにく書籍としての面白さはあまり感じなかったが、そもそも虚飾のない伝記とはそういうものであろう。真摯な書である。訳者も本書が「教科書的」であることを認めている。また、研究書としては今一歩踏み込みが足りないため、専門書としてではなく一般的に読みやすく書かれてある。しかし、作品を理解する上で必要な、作曲家を取り巻く時代や文化を知ることができる。特にワルシャワ蜂起とその頓挫がどれだけ当時のポーランドやショパンに影響を与えたかは、ポーランド人による研究家にしか語ることができないかもしれない。
本書は、一次資料に根ざした研究書の翻訳本として、重要な書と思われる。