本書に関して言えば、読み進めるうちに純文学なのか、サスペンスものなのか、あるいは冗談を意図して作っているのかわからなくなるところがある。
タイトルや、表紙にある著者近影から受けるイメージで、初老の男の「生き様」が描かれているのだろうと読み始める。あまりに執拗な独白は島尾敏雄の『死の棘』を思わせるほど。しかし主人公のあまりに勝手な思い込みや、自分の「決定」に対する言い訳の多さに、しだい次第に「オチ」を期待して読み顊めたりもする。
そして殺人事件が出てくるにいたっては「あるいはサスペンスものなのか」という疑問すら持つ。「オチ」を期待させたり、「サスペンス」を思わせたりしながら、あまりにも重厚な文体で最後に大きなコメディとして終わらせるつもりなのか、等。
最後は結局「シビア」な人生を描いて終わるわけだが、読了して主人公の「シビア」に共感できるところはない。
たとえば大江健三郎の初期作品であれば、「悪文」も主人公の持つテーマに共感するためのイニシエーションといった意味があった。しかし本書にあっては、イニシエートされた後に繋がる奥深さが感じられない。
熱烈なファンを持ち、自らも『まだ見ぬ書き手へ』において、非常に強気のことを言う作家。この作家の真の魅力を知るには別の作品を読んだ方が良いのかもしれない。
本書に関して言えば、読み進めるうちに純文学なのか、サスペンスものなのか、あるいは冗談を意図して作っているのかわからなくなるところがある。
タイトルや、表紙にある著者近影から受けるイメージで、初老の男の「生き様」が描かれているのだろうと読み始める。あまりに執拗な独白は島尾敏雄の『死の棘』を思わせるほど。しかし主人公のあまりに勝手な思い込みや、自分の「決定」に対する言い訳の多さに、しだい次第に「オチ」を期待して読み進めたりもする。
そして殺人事件が出てくるにいたっては「あるいはサスペンスものなのか」という疑問すら持つ。「オシ」を期待させたり、「サスペンス」を思わせたりしながら、あまりにも重厚な文体で最後に大きなコメディとして終わらせるつもりなのか、等。
最後は結局「シビア」な人生を描いて終わるわけだが、読了して主人公の「シビア」に共感できるところはない。
たとえば大江健三郎の初期作品であれば、「悪文」も主人公の持つテーマに共感するためのイニシエーションといった意味があった。しかし本書にあっては、イニシエートされた後に繋がる奥深さが感じられない。
熱烈なファンを持ち、自らも『まだ見ぬ書き手へ』において、非常に強気のことを言う作家。この作家の真の魅力を知るには別の作品を読んだ方が良いのかもしれない。