1巻〜4巻を読んでなくてもOK
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スマナサーラ長老の本の中では恐らく一番難しい部類に入るシリーズの第5巻ですが、第1巻〜第4巻を読んでなくても本書を読み理解することは可能であるため途中で挫折してしまった人やいきなり第5巻から読みたいという方にもオススメ出来ます。
但し、スマナサーラ長老の本を既に何冊か読み、瞑想の経験がそれなりにあることが要件になります。
あくまで私見ですが、この第5巻は非常に実践的で日々の生活や瞑想にもかなり生かせると思います。
第1巻〜第4巻までは難しい用語が多かったが、この第5巻は比較的理解しながら読めるので食べ物に例えるならこのシリーズの中では現時点では一番消化が良いように思います。
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
二つの視点で本書を読むことが大切
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論蔵のエキスパートだったアヌルッダ長老が、論蔵の理解に苦労している弟子(出家修行者)のために著した『アビダンマッタサンガハ』のキーとなる解説が本シリーズの目的であった。従って、本書を在家修行者が読む場合には、出家修行者とは別の視点を明確に意識することが大切である。
一例として、“仏教の瞑想とヒンドゥ教の瞑想では、同じ結論には立ちません。観察の仕方が違います。…中略…ヒンドゥ教のヨーガなどの瞑想では、仏教が語る解脱には達しないのです。”(p.17)については、在家修行者ならば次のような受け止め方ができる。
<在家修行者が目指すべき四向四果(預流道、預流果、一来道、一来果、不還道、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果)の最初に相当する「預流道」は「悟りの道(仏道)から離れない聖者の仲間」である。また、六道輪廻の天上界が色界と無色界に対応するので、天上界の境涯に対応する不還果で達成するのは色界四禅と無色界四禅である。しかも、この無色界四禅はブッダ釈尊がアーラーラ・カーラーマ仙人から学んだ「空無辺処定、識無辺処定、無所有処定」とウッダカ・ラーマ・プッタ仙人から学んだ「非想非非想処定」であるから、元来はヒンドゥ教の瞑想に由来する。釈尊独創の瞑想は阿羅漢果を得るための「滅尽定(想受滅定)」である。>
そう考えれば、「預流道」という聖者の流れに入るためには仏教の瞑想でもヒンドゥ教の瞑想というでも可能だということになる。つまり、瞑想方法が大事なのではなく、仏教の根本である四法印(諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静)に心底から気づく(得心する)ことが大切なのである。実際に、多くのヒンドゥ教修行者がブッダ釈尊の下で悟りを拓いている。従って、「預流道」を目指す在家修行者は『ブッダの実践心理学』を修行の全体像を知るために読むという姿勢を忘れてはいけない。