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甘い生活 デジタルリマスター版 [DVD]

価格: ¥3,990
カテゴリ: DVD
ブランド: アイ・ヴィ・シー
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   作家を夢見てローマに出てきたものの、今ではしがないゴシップ記者に甘んじているマルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)の遍歴。彼が大富豪の娘(アヌーク・エイメ)と一夜を共にし、帰宅すると同棲相手が自殺未遂。取材で知り合ったハリウッド・スター(アニタ・エクバーグ)にはさんざん振り回され、唯一のより所でもあった知的な友人は、子どもと一緒に自殺してしまう。ショックを受けたマルチェロは乱痴気パーティへと興じていき…。
   空輸される巨大なキリスト像や、腐乱した魚など、シンボリックな映像を巧みに用いながら、現代ローマの狂気と紙一重の絶望的退廃が徹底的に描かれる、イタリア映画界の名匠フェデリコ・フェリーニ監督の秀作である。カンヌ国際映画祭グランプリ、そしてアカデミー賞衣裳デザイン賞を受賞。(的田也寸志)
ローマの繁栄と退廃に対するニヒリズム ★★★★★
日本でも「もはや戦後ではない」という言葉があったが、同じように敗戦から立ち直ったイタリア。
敗戦後の日本もイタリアも貧しかった。一般的には、豊かな国アメリカに対して、圧倒的なコンプレックスと憧れを抱いていたのは同じ。1950年代から、ハリウッド映画界は、イタリア各地でロケーションを行い、チネチッタを利用し、イタリア人のエキストラを用いて多くの映画を制作した。アメリカ資本とドルが大量に流れて、ハリウッドスター達も、ローマのベネト通りで、華やかな夜を過ごしていた。パパラッチもその時の産物。ローマオリンピックが1960年だったので、建設ラッシュもあり、経済的にも潤い景気も上向きだったであろう。イタリア伝統の文化から、アメリカ文化が浸透しはじめた過渡期。
そんなローマの一時期(繁栄、狂乱、退廃)と上流階級のライフスタイルの変化期を、フェリーニ独特の切り口で、切り絵のように切り取った映画。ローマの街の繁栄に浮かれた様子を、ニヒルに描いているけれども、登場人物に対して批判などはしていない。どんな人間をも包み込む愛情が感じられる。
マルチェロ(マストロヤンニ)は、女性にだらしのない記者。その彼が取材の対象とするのは、モンローをモデルにしたかのような、グラマー美人(アニタ・エクバーグ)。彼女にさんざん振り回されたあげく、自分自身もパパラッチの餌食となる。
冒頭のヘリコプターで運ばれる巨大なキリスト像の運搬シーンと、主人公が乱痴気騒ぎのパーティーで夜を明かした後の海辺のラストシーンは、印象的。
この謎を解くまでに、まだ自分には時間がかかるような気がする。
イタリアが得たもの、代わりに失ったものへの強烈な風刺。この映画の主役は、あくまでもフェリーニの愛したローマの街そのものである。
Fellini note vol.1'' La dorce vita'' ★★★★☆
I watched it again to write this note and noticed many things.
'' La dorce vita'' and ''8e1/2'' seem like twin.
Because I think also ''La dorce vita''is Fellini's autobiographcal cinema as same as''8e1/2''
''La dorce vita''has the eye for social criticism.
But I feel it is a kind of Fellini's private film.
Why did he say Good bye! to 'neorealismo' ?
You can find out its answer in this cinema.
The time has changed and the sprit of 'neorealsmo' died.
Cinema and human being started to lose innocence and pureness.
Therefore there is no true love. and even true life.
Only false life exists.Because it is more sweeter and easier.
Also God is dying in this world.
Decadence began.
Fellini symbolized his difficult theme in opening and last scenes.
Especially last scene talks many things to us.
We modestly need to understand his message(=warning).
To be continued in next note''8 e1/2''......

以上が、先週facebookのマイページ上で発表して、イタリア人とアメリカ人相手に大喧嘩した私の評論・全文です。
前者は「果たして日本人にデカダンスが理解できるのか?」後者は「スノッブだ」という理由で・・・。
おかげで、あまりにも頭にきて、昨日は早々に寝込みました。
しかし、私達も世界を相手に闘う勇気が必要だと考えました。
責任をもって、自分の意見を堂々と世界に発表するという意味において。
私は、母国語である日本語を大切にしています。特に川端・三島文学は私のお手本です。
しかし、世界では日本語は通じないのです。
それ故、その哀しみを託して、英語にてメッセージを残します。


「清く生きろ」は永遠のテーマ ★★★★★
ラストの少女の声は私にも届きませんでした。
監督がマルチェロに託した思いは、それこそ
永遠に伝えられていくのでしょう。
「道」とならぶスーパースタンダード。
映画好きを志すなら、必ず見ましょう。

”豪奢”を「知り過ぎる」ことは「幸福」とは言い切れぬもの ★★★★★
ヘリで空輸されるキリストの像。「信仰」までもはや「物」と同様に扱う意味しか無くなったことの象徴のようです。

目も眩むような華やかで絢爛なローマを舞台に、アメリカ女優や、大富豪や、妖しげな人物達と、ゴシップ記者の主人公マルチェロが交わりつつがまるで酔いどれ船のように翻弄されていくというのが大筋です。
華やでありながら何処か腐敗臭の漂うような「退廃的な危うさ」を孕んだパーティーシーンや乱痴気騒ぎは、所々に東洋的なエッセンスが効果的に散りばめられ、日常の倦怠から逸脱するような妖しげな輝きを放ち、観ていて何故か恐いくらいに現実感がありません。

その後豪奢と退廃にまみれたマルチェロの前に「理想の指針」となるような堅実で非の打ち所のないような、古くからの友人が登場しますが、その友人は、自身の家庭の「完璧な平和」を自らそれを崩壊させてしまうかのように、家族を巻き込んだ衝撃的な自殺を遂げます。

絶望を絶望で塗りたくって全てを消しさるような乱痴気騒ぎで夜を明かし、マルチェロは朦朧とした意識のまま夜明けの浜辺に彷徨い出て、自らが幾度も味わい、浸り続けた「腐敗と崩壊の象徴」でもあるかのような、巨大なおぞましい「エイの死骸」を引き揚げます。

海岸でかつて出会った少女が、マルチェロにに語りかける意味は何なのでしょうか。マルチェロは、少女の言葉を聞き取ることもままならぬまま仲間と去ってしまいます。そしてそれを見送る少女の微笑みの一点の濁り気も無い無垢な美しさ・・・・。

結局人は、何かを「知り過ぎる」ことは「幸福」とは言い切れぬものであり、その「知り過ぎる」代償によって受ける心身の腐敗は、第三者から見た「甘い生活」などとは程遠い「凄惨なもの」であり、我々を蝕むだけのものでしかないと言っているような気がしてなりません。

観終わった後、「エイの死骸」と「少女の微笑」が目の裏側で幾度も幾度も交錯し、呆然としてしまいました。
恐ろしい作品です。
見所満載!! ★★★★★
【ネタばれ注意】

冒頭の、宙吊りにされてヘリで運ばれる

巨大なキリスト像、そしてそのヘリから

洗濯物を屋上で干している女性をナンパする

マルチェロ・マストロヤンニ!!

有名なトレビの泉のシーンなどなど・・・・

数々の印象的なシーンが満載の、

すばらしい映画。