いかなるルールによって、人間は"神の見えざる手"を作り出すことができるのか?
★★★★★
メカニズムデザインとはなにか。
まず、ゲーム理論を、所定のルールのもとで自己の目的の実現を目指すゲーム・プレイヤーの振る舞いを扱う理論だとしましょう。
すると、メカニズムデザインは、プレイヤーの合理的な行動原理を所与とし、ゲームを司るゲーム・マスターの目的の実現に向けてプレイヤーの行動を誘導するルール設計を論じる理論といえるでしょう。
つまり、ゲーム理論とメカニズム・デザインは対をなして、プレイヤーとマスターそれぞれの立場で目的実現のために合理的な決定を下す基礎を与えるのです。
オークションを例にとれば、入札者がプレイヤー、主催者がマスターです。
プレイヤーは、品物をなるべく低い支払額で入手することを目指します。
これに対し、品物を最も高く評価する入札者に品物を落札させることや、なるべく高い金額を落札者に支払わせることなどを、マスターの目的として考えることができます。
このようなマスターの目的を満たすには、どのようなルールを定めればよいのか。
あるいは、そのような目的を満たすルールは存在しないのか。
これらの命題に対してメカニズムデザインは数学的な証明を与えます。
ここで、マスターの目的を達成することにより実現される状況が、関係者全体にとっての"望ましい"状況と同一視できるとしましょう。
すると、このような目的を実現するルールのもとでは、利己的な合理的判断にしたがうプレイヤーの行動が、全体にとって望ましい状況を結果的に産むことになります。
つまり、メカニズムデザインが与えるものは、"神の見えざる手"の数学的な存在証明あるいは非存在証明でもあります。
本書を読んで、私はそのようにとらえました。
本書の読者は経済学を専攻する方がほとんどだと思いますが、必要な用語はほぼ文中で定義されているので、経済学・数学の知識が乏しい私にも、省略されている箇所を補いながら証明を追って読み通すことができました。
(位相や解析の用語が少し現れますが、使われているのはあまり重要ではない箇所です。)
ただし、まえがきに書かれているように"根気強く論理を積み上げ一つ一つのステップに時間をかけて理解する姿勢が必要"です。
以下、よくわからなかった点など。
・50p 定理2.3の証明で選好が単峰的であることはどこで使われている?
・53p 補題2.5の証明 「xの内点性から,MT(≧,x) = {≧}だからである.」がよく分からず。
・56p 最下行の「決定効率的」を定義する式で、v(a)とv(b)は、v_i(a)とv_i(b)の誤り?
・77p 「強単調性」の定義での
x_i ≧ y_i ⇒ x_i > y_i (左は実数の比較、右は選好)
は
x_i > y_i ⇒ x_i > y_i
の誤り?
・81p 補題3.1の証明の二行目「パレート効率的」とは77pで定義する「効率的」のこと?
・82p 補題3.1の証明ステップ1の冒頭三行がよく分からず。
・127p 「5.3.2 可能性定理」の冒頭での「公平性」は「水平性」のことか?
・163p 「マスキン単調性」の定義中にMT(≧,x)が現れるが、マッチングx,yに対して、その選好 x ≧ y はどう定義される?
・169p 定理7.1の証明の最後3行
aは、S(≧)に入っているどの女性にもプロポーズを拒否されない。(これをAとする。)
これは、任意のy∈S(≧)¥S^A(≧)についてS^A(≧)>yが成り立つことを意味している。(これをBとする。)
において、脚注10より ¬A ⇒ ¬B すなわち B ⇒ A であることが分かるが、 A ⇒ B が分からず。
・182p 8-15行目「任意のf∈Sを帰結関数とする直接メカニズム」は安定対応をナッシュ遂行する(Ma)のか、しない(Tatamitani)のか。
邦文初のメカニズムデザインの教科書
★★★★★
メカニズムデザインとはミクロ経済学の一分野であり、その基本思想は、通常のミクロ経済学で前提とされる価格メカニズムなどの配分制度を外から与えられたものとせず、ゼロから設計すべきものと考えることである。この発想により、既存の経済制度を再評価し、さらに新しい経済制度の構築に知見を与えることが可能となる。メカニズムデザインはここ二、三十年の経済理論の発展に大きな影響を及ぼしてきたが、最近は理論研究のみならず実世界での運用(例えば、オークション制度の設計など)も行われるようになり、ますますその重要性を増している。メカニズムデザインの基礎に対する貢献によりハーヴィッチ、マスキン、マイヤソンの三教授が2007年度のノーベル経済学賞を受賞したのは記憶に新しい。現代の経済理論において最も注目すべき分野のひとつといえる。
本書は以下の3つの点で画期的な著作といえる:
(1) これまでメカニズムデザインの邦書での教科書はなく、この分野の初学者は英文の専門的文献にあたらなければならずハードルが高かった。本書は邦文初のメカニズムデザインの教科書であり、これにより多くの学生、研究者がこの分野を学べるようになった点で画期的である。
(2) また、本書はメカニズムデザインの一般論における古典的な結果から、さまざまな応用モデルにおける最新の結果までを幅広くカバーしている。メカニズムデザインにおいて、このように多様なトピックをひとところにまとめた文献は英文においても例がなく、その点でも画期的である。(とくに近年実世界での応用の観点から多大な関心を持たれているマッチング環境でのメカニズムデザインについても最近の結果がまとめられているが(6章、7章)、これはマッチング関係の文献にも類がなく重宝なものである。)
(3) さらに、本書はこのような多彩な内容を持つにも関わらず、簡潔明瞭なまったく無駄のない記述により、ページ数の相当な圧縮に成功している。読者は時間を無駄遣いすることなく、効率よく専門的な知識までたどり着けるだろう。
本書の著者3名はこの分野で新進気鋭の若い研究者である。この分野で着々と業績を挙げている方々であり、ありがちな「高みの見物」の「解説者」でないという点で、記述にも信頼が持てる。本書には著者自身の業績も紹介されている。また、他の日本人研究者の名前も多く見ることが出来、日本人がこの分野に大きく貢献していることがうかがえる。
本書によっては、他分野の研究者、大学院生は非常に効率よくメカニズムデザインの最先端を眺望することが出来るだろう。また、本書は非常に多くの論文をサーベイしており、研究の歴史的な流れなどについてもかなり専門的な解説がある。この分野の専門の研究者にとっても資するところが大きいに違いない。
メカニズムデザインは経済学の研究者にとってすら非常に専門性の高い、いわば「とっつきにくい」分野であり、そのためこれまで「現実と遊離した机上論」とされ評価が大きく割り引かれて来た感が否めない。本書の出版がメカニズムデザインの普及と「再評価」につながることを願いたい。