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仏教・神道・儒教集中講座 (徳間文庫)

価格: ¥580
カテゴリ: 文庫
ブランド: 徳間書店
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「日本で一番人気があるスポーツはカーリング」みたいな書き方 ★☆☆☆☆
単行本で出たときには随分批判されたのだが、その後訂正もなく文庫になっているのもどうかと思う。
きついことを書くが、筆者はこれでも井沢ファンのつもりである(逆説の日本史はほとんど読んでいる)。井沢氏の筆致が冴えていないのである。残念である。逆説の日本史で鮮やかに鎌倉仏教を論じたあの著者とは思えないくらい、不出来である。

要するに、この本は全く宗教について知識の無い人にわかりやすく説明するために、事実をまげているのである。些細な間違いだという人もいるが、どれも些細ではない。だって、例えていえば日本のスポーツを紹介する本で、野球にもサッカーにも触れず、「日本で一番人気があるスポーツはカーリング」とか、「相撲では相手に向かっていく姿勢が重要視され、朝青龍が先輩の車を壊すのも許された」みたいなことを書いているのだから。

インドの大乗仏教の中心、唯識と中観に触れないのは日本のスポーツを論ずるときに野球やサッカーに触れないようなものだし、インドでマイナーだった法華経を大乗仏教の中心として論じてしまうのでは「日本で一番人気があるスポーツはカーリング」って書くような物だ。「死者を鞭打つ」のを儒教の教えだとするのは、朝青龍の行動が日本の相撲取りの標準だとするぐらいに無理のある話である。「死者を鞭打つ」話は、その後に「死者を冒涜する行為だ」という批判が続くのだから。奇妙な話題を取り上げて、「これが儒教です!」とかいっちゃうのはまずいと思うよ。

これ一冊で日本人の宗教観が把握できます ★★★★★
無宗教が多いといわれる日本人。しかし、著者は神道こそが日本人の心の根底にあると説いています。仏教や儒教が輸入された際もそのまま受け入れるのではなく神道的考えに合うように受け入れてきた・・という話や、多神教である神道と相容れないキリスト教などの一神教は日本で広まらなかった・・などの話は目からウロコという感じで初心者にも分かりやすく大変ためになりました。外国人に日本人の宗教観を説明する際にも知っておくべき事が満載の非常に役に立つ本です。
世界に類例を見ない日本宗教のユニークさを知る ★★★★★
日本人は一般に「宗教(問題)にうとい」と言われる。それは外国の宗教に対してばかりではなく、我々日本人自身の底流にある宗教もしくは宗教的感覚・思考様式の存在についてもほとんど認識・自覚していない。これは、世界的には極めて稀有な状態なのだと、本書の著者である井沢元彦氏は言う。
では、なぜ我が国はそんな状態になっているのかと言えば、我が国では戦国時代末期の武将・織田信長によって徹底した[政教分離]が行なわれ、以後、実力を持って現実の政治に口出しする宗教団体の動きが封じられて、一般庶民が日常生活にあたって宗教に悩まされあるいは考慮する必要がなくなったためという。その意味では、今なお宗教による対立や抗争が続く世界から、400年も以前に日本を脱却させた織田信長は我が国最大級の恩人の一人である。
しかし、我々日本人が認識・自覚していなくても、我々日本人の根底には日本のユニークな宗教は厳然と存在するし、知らず知らずのうちにそれに規定されて生きている。本書は、そうして日本人のうちにある、我が国の根元的宗教とはどのようなものか? ということを、日本古来の神道、外来宗教である仏教・儒教の各々を順を追って体系的に、そして何よりもわかりやすく解説することを通じて明らかにするもので、これによって世界のいずれの地域とも異なる、日本人ないし日本社会の独自性を教えてくれる。
それによれば、我が日本社会における宗教の根幹をなすのは「和」と「穢(けが)れ」(忌避)、それに「言霊(ことだま)」に対する信仰(?)であり、これが日本人の発想や行動様式の根本を規定しているという。特に衝撃的だったのは、わが国における[反軍〜反戦]の傾向というものは、いわゆる進歩的・左翼的イデオロギーによるのではなく、「穢(けが)れ」(忌避)に基づく、軍人に対する差別的な伝統によるという貴重な指摘である。
我が国には、今日なお過去の[日本軍国主義][アジア諸国に対する侵略戦争]を口を極めて非難したり、[平和憲法の維持・擁護]や[日米安保体制の破棄]を声高に主張する反日勢力が根強く存在するが、彼らは自身が陶酔しているような進歩的・良心的(?)な存在なのではなく、単に日本宗教(日本教)の呪縛を自覚していない、もっともナイーブな種類の日本人であるに過ぎないというのは、極めてアイロニカルである。
とにかく、我々日本人は、日本人独自の信仰である日本教のユニークさを自覚していない。そこから、「日本の常識、世界の非常識」と言われるような言動の格差が生じる。今後、外交の分野でもビジネスの分野でも、不必要なトラブルや不利益に巻き込まれないためにも、本書の内容を頭に入れておく必要がある。極めて有益な著作である。
世界に類例を見ない日本宗教のユニークさを知る ★★★★★
日本人は一般に「宗教(問題)にうとい」と言われる。それは外国の宗教に対してばかりではなく、我々日本人自身の底流にある宗教もしくは宗教的感覚・思考様式の存在についてもほとんど認識・自覚していない。これは、世界的には極めて稀有な状態なのだと、本書の著者である井沢元彦氏は言う。
では、なぜ我が国はそんな状態になっているのかと言えば、我が国では戦国時代末期の武将・織田信長によって徹底した[政教分離]が行なわれ、以後、実力を持って現実の政治に口出しする宗教団体の動きが封じられて、一般庶民が日常生活にあたって宗教に悩まされあるいは考慮する必要がなくなったためという。その意味では、今なお宗教による対立や抗争が続く世界から、400年も以前に日本を脱却させた織田信長は我が国最大級の恩人の一人である。
しかし、我々日本人が認識・自覚していなくても、我々日本人の根底には日本のユニークな宗教は厳然と存在するし、知らず知らずのうちにそれに規定されて生きている。本書は、そうして日本人のうちにある、我が国の根元的宗教とはどのようなものか? ということを、日本古来の神道、外来宗教である仏教・儒教の各々を順を追って体系的に、そして何よりもわかりやすく解説することを通じて明らかにするもので、これによって世界のいずれの地域とも異なる、日本人ないし日本社会の独自性を教えてくれる。
それによれば、我が日本社会における宗教の根幹をなすのは「和」と「穢(けが)れ」(忌避)、それに「言霊(ことだま)」に対する信仰(?)であり、これが日本人の発想や行動様式の根本を規定しているという。特に衝撃的だったのは、わが国における[反軍〜反戦]の傾向というものは、いわゆる進歩的・左翼的イデオロギーによるのではなく、「穢(けが)れ」(忌避)に基づく、軍人に対する差別的な伝統によるという貴重な指摘である。
我が国には、今日なお過去の[日本軍国主義][アジア諸国に対する侵略戦争]を口を極めて非難したり、[平和憲法の維持・擁護]や[日米安保体制の破棄]を声高に主張する反日勢力が根強く存在するが、彼らは自身が陶酔しているような進歩的・良心的(?)な存在なのではなく、単に日本宗教(日本教)の呪縛を自覚していない、もっともナイーブな種類の日本人であるに過ぎないというのは、極めてアイロニカルである。
とにかく、我々日本人は、日本人独自の信仰である日本教のユニークさを自覚していない。そこから、「日本の常識、世界の非常識」と言われるような言動の格差が生じる。今後、外交の分野でもビジネスの分野でも、不必要なトラブルや不利益に巻き込まれないためにも、本書の内容を頭に入れておく必要がある。極めて有益な著作である。
分かりやすい ★★★★☆
すごく分かりやすく書いてあり、最初に読むには最適かと思います。

ただ、多少、独断的な箇所もあるので、中村圭志「信じない人のための<宗教>講義」みすす書房、橋爪大二郎「世界がわかる宗教社会学」筑摩書房、小室直樹「日本人のための宗教原論」徳間書店のような本を合わせて読んだ方がいいと思います。

レビュアーの方の中に、秦檜や関帝(関羽)等に関する記述の例を上げ罵倒に近いレビューを寄せておられる方がいますが、ミスリードだと思います。
私もこの方のレビューを読んで買うことをためらったことがあるのであえて指摘させていただきます。

秦檜が、金との和平策を採り、主戦派の岳飛を謀殺したため、売国奴とののしられ、岳飛廟に、岳飛の前に後ろ手縛られる形の像を置かれ、いまだに観光客に叩かれたりつばを吐きかけたりされているのは事実です。
(つばをはきかけることは禁じられたようです。)
それと、秦檜の和平策を再評価する試みとは次元の異なる話だと思います。

関帝に関する記述は、儒教のところで出てるのではなく、神道のところで出てきます。
怨霊神を日本独特のものと説明した後、関帝が怨霊神であることに触れていて、但し、例外だと言っているだけです。
筆者は、一言も、関帝を、儒教の神だとは言っていません。

蛇足ながら、関羽は儒教でも五文昌の一人「文衡聖帝」とされて神格化されています。
清の頃には、県には、必ず孔子を祭る文廟と関帝を祀る武廟を建立することが義務けられています。