キプリングの短篇は三百篇にもおよぶが、ボルヘスは後期の難解な作品を好んで選んでいる。軽快でわかりやすい小説を読みたい向きには、この本はあまり薦められない。ここにおさめられた作品の中でも特に「アラーの目」「園丁」などは、最後まで読まなければいったいそれがなぜ小説に書かれなければならなかったのかさえも理解できない。これらは謎解き小説ではない。それ以前に、何が謎なのかを見つけなくてはならないからだ。
「祈願の御堂」年老いた元賄い婦が旧友に聞かせる身の上話。ただし、芝居のような独白が累々と続くような代物ではない。老女ふたりの、どこか儀式めいた思い出話の中から、中核となる神秘的なエピソードが徐々に浮かび上がってくる、その手腕はキプリング独特のものだろう。読者の心に重くのしかかってくる結末に耐えながらもう一度読み返せば、このふたりの老女の何気ない会話の中に、別の小説がいくつでもできそうなほどのエピソードがひしめき合っているのがわかる。
「サーヒブの戦争」キプリング中期の作品。南アフリカのボーア戦争に赴いたインド人騎兵が、その帰路に列車で乗り合わせたイギリス人の大尉に、自分が仕えたイギリス人大佐の思い出を語る。ボーア戦争の行く末が南アフリカ連邦の悪名高きアパルトヘイト政策だったことを考え合わせると、このインド人騎兵とイギリス人大佐の友情話はすこしナイーヴすぎるきらいはある。しかし、異なる宗派や人種の兵士たちともバランスを保ちながらわたりあっていくインド人騎兵から見て、白人どうしの戦争がいかに愚かしく見えることか、胸に迫るものがあるのは否めない。
この本には全部で五つの短篇が収録され、付録の月報にキプリング自筆デッサンと訳者の解説が載っている。この付録も貴重なので、うっかりなくさないよう気をつけたい。函入で装丁も美しい。