田中史生『越境の古代史――倭と日本をめぐるアジアンネットワーク』(ちくま新書)は、イチオシ、おすすめの良書
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亀戸駅前に客を落として、ガードを潜り、左に回りこむと、駅前の小広場の噴水に亀がいた。つい車を降りて、しげしげと眺めてしまった。大きな親亀の背に子亀が乗り、その背に孫亀が乗っている。三層の亀! おまけにその甲羅からは背鰭みたいな翼が突き出ている。
《重い図体に、その小さな翼では、自由に天空を翔けることは出来まいに》
と、銘板を覗きこむと、「ハネカメ」とある。羽亀? まぁ、跳ね亀だな。ぐるりと噴水をまわると、荒川の現在水位を知らせるモニュメントの前に立った。
《これはよい。雨で増水しているときに見たかったな》
標された赤線で見ると、何回かの台風襲来時よりも、大正年間だったか、津波のときのほうが水位が高かった。堤防水位までにはまだある、安全だ。しかし、これには最新の都市型集中ゲリラ豪雨の脅威が反映されていない。ここには一地域、ごく短時間の集中豪雨で、マンホールの蓋という蓋を撥ね上げて噴き出す地下下水の氾濫は、まだイメージされていないのだ。
キトラ古墳の玄武図の亀の胸の異常な膨らみが気になって、つい亀戸駅前小広場のハネカメの前に長居する羽目になってしまった。晴海から亀戸までたまたま客を乗せてきたまでのことだが、その客待ちの間に読んでいたのが、来村多加吏『高松塚とキトラ――古墳壁画の謎』だった。イントロにちょっと臭みがあるけれど、才能あふれるシャイな著者にはありがちなことで、読み進むうちに気にならなくなった。亀の腹甲のあるなしから、胸のC型の異常なふくらみにいたるまで、中国の原画が日本で、また高句麗で、どのような変遷を蒙ったかの推論には、正直感動させられた。日輪と月輪の考察もよい。しかし、天文図は、惜しいかな、歳差運動に関してこう誤っていると指摘するより、仮にその天文図が2万5千年前の地球から見た星辰を表すものであるならば、原画の原図は2万5千年前の超古代文明から伝わったのかもしれない、とひと言付言すると、ややピーター・コロシモまがいでご愛嬌だったのだが。まっ、被葬者としたら、おのれの死の間際の正確な天文図よりも超古代の星辰が墓室の天井に描かれており、おのれもいままさにそこへ旅立とうとしている、と感じたほうが幸せではあるまいか、とふと思っただけのことなのだが。
青龍・白虎・朱雀・玄武、四神「彼らの躍動感が被葬者のタマシイを天へといざなう仕掛け」か、いいなぁ。
網干善教の好著『高松塚への道』をたまたま読んで、《ふむ、発掘は先史・縄文時代ばかりとは限らないなぁ》、と汗水垂らした縄文遺跡発掘を懐かしみながら、読書の幅をつい広げて思わぬ拾い物をした。懐かしいといえば、奈良・薬師寺でまだ若僧の高田好胤の説法に耳を傾ける学帽を阿弥陀に被った生意気盛りのぼくのスナップ写真が中学修学旅行のアルバムのどこかに残っているはずだ――
「何か、質問・感想は?」
「思ったとおり言っていいですか?」
「はい、どうぞ。そのために訊いておるのです。」
「坊さんだから、話がうまいのは当り前だ。もっと下手にしゃべってくれれば、話も信じられるのだけど、です。」
「これはまいった。どうか、あなたを拝ませておくれ。」
お蔭で説法の内容はすっかり忘れてしまったが、確かに、《旨すぎるなぁ》という印象は残った。もう彼も高僧になったのだから、説法はもっと下手になって、その内容は坊主嫌いの者の耳にも残るはずだ。
もともと東洋古代史の一角としての日本古代史にぼくの関心はあって、李寧煕(イヨンヒ)の万葉ものとか、小林惠子KOBAYASHI Yasukoの『広開土王と「倭の五王」』とか、『三人の「神武」』とか、ばかり読んできた。つい先日も書架の片隅から、『聖徳太子の正体』、『二つの顔の大王』、『陰謀大化の改新』とかを引っ張り出してきて、時間があったら、再読の構えだ。発掘熱にも埋れ火に久々に息が吹きかけられた感じだから、藤ノ木古墳ものなど、時間がなくても読むかもしれない。
ぼくに黒岩重吾さんほどの筆力があったなら、李寧煕や小林惠子あるいは倉西裕子ばりの史観・構想の基に、次々と話題作を発表してみせるのだが、と切歯扼腕すること頻りである。
ここにやや唐突に倉西裕子の名前を出したのは、一読(『国宝・百済観音は誰なのか?実在したモデルとその素顔』)、感心させられてしまったからだ。それは何よりもその着想に至る過程、着想から推論に至る過程、の記述の丁寧さにある。地味なといっていいくらい着実丁寧なのだ。しかし、ひとたび結論に至るや、絢爛と花開く(たとえば、『竹取物語』/「光り輝く存在」/『源氏物語』をめぐる考察を見よ。しかし、巻末、天智帝とは戴けないな。やはり、ぼくには小林惠子のほうが性に合うのかも)。
なおまた、付言しておくが、同じく倉西裕子の『聖徳太子と法隆寺の謎――交差する飛鳥時代と奈良時代』も、非常に示唆に富んだ労作である。百二十年を隔つ二本の時系列を一つに束ねて、飛鳥人と天平人のささやきに耳を澄ませながら、ぼくは小説を書きたくなった。
『古代人の遺言』や『古代人の宇宙』(いずれも白揚社)など、ぼくの翻訳にもまだ読者はいるのだろうか?
《倭国の漢字文化を担った身体には、緊迫する東アジアを越境し駆けめぐった人たちと、それを受容した人々の歴史が、折り重なるように刻み込まれていたのである。》 田中史生『越境の古代史――倭と日本をめぐるアジアンネットワーク』(ちくま新書)は、イチオシ、おすすめの良書である。
さて、そろそろ日本橋橋詰めの乙姫小広場に戻って、一服するとしようか。
(『本と恋の流離譚』「躍動して被葬者の魂を天空へと誘う仕掛け」http://koiruritann.blogspot.com/2010/09/blog-post.html より)
がっかり
★☆☆☆☆
文中、何を根拠に結論付けられているか、解らない箇所が多数過ぎるほどある。
結論付けるなら、ちゃんとした証明が必要。
推測と予測と事実と願望がごちゃ混ぜになっている。
はじめに「交流」があった―古代史のダイナミズムを堪能!!
★★★★★
本作は日本の古代史を専門とし、関東学院大学教授である著者が
古代史を「日本」という枠組みで切り取るのではなく
「交流」という観点から読みなおそうとする野心的な試みです。
正史が国家によって独占されざる得ないにもかかわらず
その端々に登場する、国家を超えたスケールや国家の外で動いた人々の姿を、
イキイキと蘇らせるとともに
歴史学からも逸脱しない本書―
専門的な記述と、読み物としての面白さを兼ね備えた
とっても稀有な著作であり
繰り返し、食い入るように読みました。
なかでも、新羅商人や奄美諸島から見つかった土器の話は、
とくに興味深かったのですが
これにくわえて
帯に書かれた―
「日本」より先に、国際交流があった
―という言葉などから漠然と見えてくる
筆者が抱く古代史の全体像には
いっそうの興味を持ちました。
網野善彦さんの著作などに惹かれる方には、強くおススメします☆☆