ケータイ小説のさまざまななりたちなど
★★★☆☆
私もケータイ小説を読んでいないひとりだが,そういうひとはケータイ小説ときくと十把ひとからげにとらえがちだ.しかし,この本を読めば,そのなかにも,ひとりの作者が計算づくで書いた Deep Love のような作品もあり,「ライブ」つまり読者の反応をうけながら書かれていくものもあることがわかる.とはいえ,文体はいささか,かたいし,あまりまとまりがよいともいえない.もうすこし,いろいろ情報をあたえてくれることもできたのではないかと惜しまれる.
ケータイ小説を知る入門書
★★★★☆
ケータイ小説の黎明期からかかわった著者による、ケータイ小説の歴史を書いた本。
一時期ほどのいきおいはありませんが、ケータイ小説が売れていることは知っていました。本屋で立ち読みして、すぐにやめてしまいました。ちょっと、わたしの好みではありませんでした。
それでも、ケータイ小説が何者であるかぐらいは知っておいて損はないだろうと、この本を読みました。
結論は二つ。ケータイ小説は仕掛けられるものではない。ケータイ小説はライブである。
自分なりに理解したことを書くと、こういうことです。
(1)きれいな広場ができた。(魔法のiランド)
(2)そこで自作の歌を歌う人が出てきた。(自分の体験を小説にしてケータイのホームページにのせる)
(3)立ち止まって聴く人が増えてきた。(ケータ小説の読者)
(4)歌い手は観客(読者)の野次に嫌気がさして、やめようと思うこともあるが、逆に励まされることもあり、歌(小説)をつづけた。
(5)しだいにライブはもりあがってきた。
(6)聴いた人のなかから、業界に、CD化してほしい、とねじこむ人が出てきた。
(7)歌(小説)はCD(本)となり、爆発的に売れた。
(8)映画化され、それを見て、CDを聴く人も増えた。
こんな経緯をたどって盛り上がったのがケータイ小説である。したがって、業界側から仕掛けて、こういうホールを確保し、こういう歌手を呼んできて、こういう設備、こういう演出でやれば、次々とヒットを出せるに違いない、という発想は間違っている。
この本を読み終わった今でも、ケータイ小説を読む気にはなれませんが、入門書としては、わかりやすく、好著でした。
予想通りのエクスキューズ
★☆☆☆☆
ケータイの身体感覚。確かにケータイだとPCでは恥ずかしい話し言葉のメールも自然と書けたりする。
そうした感覚に目をつけてケータイ小説はビジネスとして確立した。
だがダイレクトな感覚の排他性は歴史や日々の生活から明らかである。
作品の質やリテラシーを脇におき、マーケティング・マシーンとなることでダイレクトな感覚を支持することが虚構として可能になり、ケータイ小説のビジネスを推進することにつながった。そのことがよく分かる本である。
ケータイ小説=源氏物語以来の伝統ある女流文学の発展系?
★★★★☆
ケータイ小説論自体が、ちょっとしたブームになっているよう
ですが、この本では、大人(プロ)の仕掛けでなく、若い女性の
「口コミ」や強い希望から、広がったところに「ケータイ小説」の
本質を見ているようです。
それと、肌身離さず持っているケータイの身体感覚が、ケータ
イ小説の特徴と主張しています。
この本を読んで、なんとなくケータイ小説に親近感をもつ
とともに、少し大げさですが、これも源氏物語以来の伝統
ある女流文学の発展系なのかとも感じました。
何冊かケータイ小説を読んでみたいという気になりました。