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グレン・グールド論

価格: ¥4,200
カテゴリ: 単行本
ブランド: 春秋社
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オリジナリティのあるグールド論 ★★★★★
 その分厚さや一見無味乾燥なタイトルで遠慮したらもったいない本。
 著者が序文で述べているとおり「グールドが何を考えていたのか、なぜそのような考え方をしていたのか」という明確な視点にたって書かれた本である。しかもグールドの大ファンであり、グールドの関連書籍の和訳に幾度も携わってきたにもかかわらず、著者は上述の視点からぶれることなくグールドというアーティストを冷静に紐解いてゆくスタンスを貫いている。
 だから読者もこの視点さえ念頭に置きながら読めば、その理路整然とした文章と、具体的な事実に裏付けられた展開に導かれて「グレン・グールド」の世界を探索することができる。優秀かつ親切な案内人の話を聴きながら興味深い土地を一緒に歩いているような感覚を覚える本だ。
 また、グールドのファンのみならず、真摯にロックやジャズを聴いている者、さらにミュージシャンやDJにもお薦めしたい。そういう人なら、グールドが1964年に述べた次の考察の先見性に驚くだろう:「電子時代の聴き手=消費者は、家庭で電子機器を駆使し、既成の録音を編集して楽しむようになり、(略)『たくさんの演奏の名編集者として振る舞う』ようになる」(本書42ページより)。サンプリングや、ヒップホップのDJ、グランドマスター・フラッシュが1981年に発表した既成のレコードとターンテーブルとミキサーで作り出した音楽史上初の作品、また“プレイリスト”の機能を使って自在にコンピを編み出すiPodユーザーの出現を予見していた言葉である。
 とりわけ見事なのが最終章の「グールドはなぜカナダ人なのか」という、重要であるのにこれまで見過ごされてきた問題を追究するアイデンティティ論である。これを現在の世界秩序の枠組みを意識しながら読むと極めて面白い。著者の独創性と洞察力の深さが光を放つ論考である。
 近い将来、英語をはじめとする他の言語に翻訳されるべき一冊。
確かにこれ、新しいグールド論です! ★★★★☆
待望の宮澤氏のグールド論、題名もそのものズバリで、やられました!
期待を微妙に(良い意味で)裏切ってます。帯にある
「音楽(フーガ)=環境(メディア)=北(カナダ)」というコピーに
???と思いましたが、これが「メディア論」、「演奏論」、
「アイデンティティ論」と3つの章に相当して、
それがみんなつながっている、という論の展開は見事です。

個人的には、最初の「メディア論」にいちばん熱中しました。
グールドの言動を丹念に追いつつも、すっきり整理してくれてい
る印象です。冒頭の「演奏会活動停止発言」や、
「拍手禁止コンサート」の“実況中継”が、特にそうで、
今までどの本にも書かれていないエピソードがおもしろかったです。
マクルーハンが出てくるところは(正直マクルーハンは
名前しか知らないので)チト難しかったけど、グールドの考えや
気持ちがわかるような、切ないような、なんとも言えない気持ちに
なりました。

「演奏論」は、ゴールドベルク変奏曲(ゴルトベルク変奏曲って書くべき?)
を中心にまとめられていて、グールドがなぜこの曲とともに
語られるのかがわかった気がします。先輩ピアニスト
ロザリン・テューレックのグールドに対するコメントが笑えました。

最後の「アイデンティティ論」は、カナダ、カナダ人論(?へえーそんなのが
あるの?)で、今まで読んだことのない新鮮な話題でした。
2章までが内へ内へ入り込む感じだったのが、
ここへきて、パッと広がっていく感覚がありました。
「米国人の言いなりにならないグールド」っていうのがイイです。
全体的に、グールドを語るときに良く使われる「孤独」とか
「エクスタシー」といった言葉を使わないで論じる姿勢には
妙に感心。「孤高の人」であったかどうかは問題
にしないし、それでもグールドは論じられるのだという態度が
貫かれてるみたいです(でも、ちょっと使ってもいいじゃん!みたいな
気もしましたが)。

それからこの第3章、ちょっとしたドンデンガエシみたいな
終わり方をしていて、この章の冒頭だけでなく、第1章の冒頭にも
循環するところがチャーミングですし、また切なくなりました。
付録のグールドの忘れられたエッセイ「親友の言葉」もおもしろく、
改めてグールドの魅力に引きつけられました。

グールドの魂のへその緒? ★★★★☆
日本のグールド研究の第一人者・宮澤氏による初の書き下ろし「グールド論」が出版されました。読む前に思ったのは「論?ちょっとオカタイんじゃないの?」でした。読んでみたら、オカタクなく、かっこいいほど(さらに笑うほどに)マニアックでした。
ページをめくるとまず目に飛び込んでくるのが、Bachの譜面を立てたスタインウェイに肘をついて立つグールド&例のオンボロのグールドさんの椅子の写真。次が氷河に似た氷が浮かんだ入り江の写真。次がカナダの地図。
この本のキーワードは、この3点のモノクロ写真が語っているのかもしれない…と全部を読み終えて、そんな気持ちになりました。
細かくは本を読んでからのお楽しみということにして。
私が全編を通して感じたことは、この本を書くことで、筆者の宮澤氏が『グールドの「魂のへその緒」探し』をしているということでした。それはグールドが演奏以外にもあれもやりこれもやりという人で、とても一人とは思われぬ、例えばグールドの中にその2、その3のグールドがいて…チーム・グールドが一つの衣服をまとってグ・ー・ル・ドォーー(ドカーンと大きい文字にしたい)として生きているような感じさえする創造者でした。しかし結局グールドはどうしたかったのか?多分グールドはグールドであり続けグールドになりたかった(想像)。ではそのグールドって何だ?それを読み解く鍵がカナダにあるという論法です。ではカナダ、トロントとは何か?『グールドの魂のへその緒』とは…多分読んだ人は納得できると思います。
彼の地で熟成していく時間を大事に思い、そうしたスタイルを崩したくなかった(または崩せなかった)グールドの魂がキラリと見えた「グールド論」でした。