「自分自身の心を知ること」について
★★★★★
デイヴィドソンの論文集。
書名がやたらと堅そうだが、中身はなかなか面白いと思う。
ここでは、「自分自身の心を知ること」についてレビューする。
まずデイヴィドソンは、スワンプマンの思考実験を行う。
この思考実験では、落雷によって沼のほとりにいたデイヴィドソンが粉々になり、代わりに横の木の分子が偶然にもデイヴィドソンと同じ分子構造になり、その新しいデイヴィドソン(=スワンプマン)は何事もなかったかのように家に帰り、人と話していく。
しかし、スワンプマンは意味を理解することは出来ないだろう。しかるべき経験をつんでいないから。
この思考実験は、パトナムの双子地球やバージの関節炎と同様のことを示している。
つまり、意味は心の内側ではなくて、世界にも依存しているというものだ。
ところが、この、意味が世界の側にあるという事実は、心における第一人称の特権を怪しくするのではないかという疑問が浮かんでくる。
しかし、この疑問をデイヴィドソンは否定する。
デイヴィドソンは、主観が占めている心の中心という概念そのものを否定する。
そうすることで、第一人称の特権を確保する。
確かに意味は心の外にあるのだが、第一人称はその意味を決めるための経験をすべて知っている。一方、第三人称はその経験を極めて部分的に、及び推測にもとづいて、知るしかない。
ここに第一人称の特権が現れるのだ。
最後に目次を記す。
第1部 主観的
第一人称の権威
自分自身の心を知ること
主観的なものの神話
心に現前するものは何か
不確定性の主張と反実在論
自己の概念の還元不可能性
第2部 間主観的
合理的動物
第二人称
思考の出現
第3部 客観的
真理と知識の斉合説
経験的内容
認識論と真理
認識論の外部化
三種類の知識