天平から江戸まで、薬ばなし漬けで、薬史の通になろう!
★★★★☆
今風に言えば、自然民間薬、その歴史ばなしです。しかし古老に聞くほのぼのとした伝承薬の話ではありません。話題の中心は、8世紀半ば、亡くなった聖武天皇の49日法要に光明皇太后によって東大寺に献納され、今なお正倉院に現存している38種類もの薬物です。
正倉院には、薬だけでなく、薬物の名前と量が記された「種々薬帳」も納められていました。その巻尾に5人の政治家が署名をしています。著者は、彼等のその後の運命を辿ることで、時代背景を丁寧に描いています。
また、このリストに記載されている60種の薬が、中国の薬学の古典「神農本草経」に基づき詳細に検討されており、また著者独自の視点から分類されています。
さらに正倉院に見られる官制の薬物状況だけではなく、当時の日本全体のそれが、「出雲風土記」などの文献に基づき、俯瞰されています。特に、発掘される木簡の中に見つかる、薬を扱った「薬物木簡」の解読成果を使って、奈良時代の薬物状況を明らかにしている点は、今後の解読への期待もあり、興味を惹かれました。
最後に、これら輸入された正倉院薬物がその後どう国産化されていったか。江戸時代を中心に述べられています。今も各地に残る薬草園の由来が分かります。
著者は薬学の専門家で、歴史の専門家ではありません。その為でしょうか、言及されている史実に関して、必ず根拠の文献が慎重に記されており、現代語訳テキストが紹介されています。歴史の専門家による啓蒙書よりも、一般読者には、自分で後追いが出来る楽しみがあります。
この領域は、ある意味で博物学趣味が至る極みです。しかし一品文化史に興味のある方だけでなく、奈良時代の文化史に興味のある方にもお勧めです。大仏造立を中心とした奈良時代の歴史が、薬という珍しい切り口から書かれており、当時の外交や政治の状況が良く分かります。