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誇大自己症候群 (ちくま新書)

価格: ¥1
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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現実だと思います ★★★★★
誇大自己症候群というか「自己愛」が強い人間が多くなっている気がします。
努力もしない、勉強(学校の勉強以外も)もしない。なのに人は自分を正しく評価しない。
評価は、自分でするものではないと思います。自分を過大評価して行き詰ったトタンに自殺する。
自殺できないから人を殺す。よくよく見ると、自分たちの周りにこんな人たちがあふれているのに驚きます
この本は、そんな人たちを解説されており読みがいがありました。
んー… ★★☆☆☆
誇大自己症候群というものは、親から適当に(親の都合で溺愛されたり、放置されたりといい加減に)育てられた子供が、大人になって、自分が親からされたようなこと(自分のことだけを優先すること)を他人に当然のごとく欲求する人格になってしまった人たちのことを指しているようです。我がまま放題、傍若無人、自己ちゅーという人たちのことですね。それについては、ふむふむなるほどと思えましたが、なにしろ本書、著者が誇大自己症候群のケがあると考える著名人やら関連文学作品やらの話が多いのです。何だか読んでいるうちに、それらの知識を得意気に披露しているこの著者こそが、もしや誇大自己症候群なのでは?と感じてしまいました。現状の精神医学に物申すその姿勢、よく考えれば色んな人格障害の合併症みたいな人たちに、誇大自己症候群と自ら勝手に命名し、本を出してるその並々ならぬ野心、俺はただの精神科医じゃないんだぜ的雰囲気。それに誇大自己症候群の人たちへの対処方法などにも触れてはいるけれど、ちょっと甘過ぎる対処方法だと思いました。彼等はもっと危険な存在だし、治らない。社会的抑止力でもってしか、彼等を抑えておくことはできないのに、そういう大事な面には触れられていません。
現代社会の的確な指摘 ★★★★☆
 万能感や自己顕示性を中心とする誇大自己症候群という概念は、現代社会における人間を分析するうえで非常に有用である。この本で書かれていることは、私が今までに弁護士として1万人近い人の相談や事件を扱う中で感じてきたことと一致する。精神科医にしろ弁護士にしろ、凶悪事件、非行、親子間の暴力、子供の虐待、DV、ストーカー、精神疾患、人格障害などに関して多くの事件を扱えば、同じような見解に至ることは当然とも言える。現実の事件や症例を数多く扱っている人たちは、程度の差はあっても似たような感想を持っているはずである。
 ただし、誇大自己的傾向は人間の性向として誰もが生まれつき持っているものであり(子供はすべて誇大自己的傾向がある)、プラスの誇大自己的傾向とマイナスの誇大自己的傾向を区別すべきだろう。これは誇大自己的性向が社会に適応して社会的価値に寄与するか、社会に適応せず社会に害悪を及ぼすかの違いであるが、誇大自己的性向が人間同士の社会的関係に適応するかどうかという問題でもある。もっとも、「社会に適応するかどうか」という点は、偉大な歴史的英雄と極悪非道の犯罪者が同一人物に同居することがあるように、所詮相対的なものでしかないという面はある。しかし、個人の幸福の問題だけでなく、健全な社会をどのようにして作るのかという点からすれば、誇大自己的性向が「一応」「社会のルールを守るかどうか」という点は重要である。したがって、「企業戦士」は、個人の生き方の問題ではあるとしても、社会に害悪を及ぼす問題とは区別すべきである。この本では、プラスの誇大自己的傾向とマイナスの誇大自己的傾向が区別されることなく論じらているという印象を受ける。同一人物が両面を併せ持っている場合でも、それぞれ区別して考えるべきである。
 この種の本によくあることだが、「では、誇大自己症候群に対してどのように対応すべきか」という問題になると、この本は急に記述が抽象的になる。この点に関する実践例は、おそらくこれからの課題だろう。



本質的な点は押さえられている ★★★★☆
幼児的な全能感というのが現代日本のキーワードでないかと思っていたところ、本書に出会った。結論から言うと、大きな一点(後述)を除いて、現代日本社会を鋭く抉る分析だと思う。 
 岡田の言う「誇大自己症候群」とは、次のような五点の特徴を持つ。

1.現実感の希薄さ=しばしば「ゲームやアニメや物語などのファンタジー世界にどっぷり浸かったり現実性を欠いた願望や空想に向かいやすい傾向」
2.幼児的な万能感
3.罪悪感の欠如と他者に対する現実的な共感の乏しさ
4.突発的に過激な行動に走ること=「突然暴走を始めると、取り返しのつかないクラッシュまで突き進んでしまう」
5.非常に傷つきやすいこと=「些細な傷つきに対しても激しい怒りを生じ、それを鎮めるために仕返しや復習をしようとする傾向」

 なるほど、これらの特徴をふまえると、チャンネル争いに負けたという理由で兄に斧を振り下ろした少年や、親に注意された後、家に火をつけてデートに出かけた少女の例などが確かに腑に落ちる。(中略)
 他に、私が本書の分析を的確だと思った例は、昨年の、くまえりを名乗るタレント志望の少女による放火事件を予見的に記述している箇所である。岡田によれば、「放火事件を行った女性の場合は、古くは八百屋お七から先の女子大生(注=くまえりではない)にも当てはまるように、華やかで魅力的なタイプが少なくない」そうだ。彼女たちの根本には、巨大で病的な自己顕示欲が潜んでいる。

 ただ、本書には大きな問題もある。それは、偉人・英雄と呼ばれている人たちと、「誇大自己症候群」に陥り犯罪を犯している人たちが、ゴッチャにされていることだ。これは、本書の決定的欠陥だと思う。岡田は、「『聖者』や『偉人』と呼ばれる存在の多くは、克服された誇大自己症候群なのである」とおわりに述べているが、私は、それらは似て非なるものだと考えている。
 とは言うものの、現代日本社会の分析として、本書は秀逸ではないだろうか。誇大自己症候群の人たちとは「勝ち負けを競わない」とか「取引をすきべきでない」などの具体的な対処法も載せている。岡田が主張していることは、仮説の萌芽であり、また本書は新書という形態であるから粗雑な点はあるだろうが、本質的な点は押さえられているように思う。
誇大の反対にあるもの ★★★★☆
著者の述べていることが真理であるか否かを議論すると、おそらく不毛な言葉のぶつかりあいが起きるだろう。活字を読み、考え、それを生産的に活用することをしたい。そう思うとき、まず決めなければならないのは1)著者は単なるオッチョコチョイである 2)有益な知見を語る人である のどちらの見かたに与するか、である。結論だけを書くと、評者は前記2)の立場を取る。さて、既に指摘されている通り、本書にはさまざまな有名人が「誇大自己」のサンプルとしてあげられている。ニーチェやヒトラーがどのような人格の持ち主だったのか、を知るだけでは、読者は自身の変容の機会を持ち難いだろう。この意味で助けになるのは最後に置かれた「誇大自己症候群の克服」である。しかしいかにも紙数が足らない。もし「創造的な読書」ということがありうるならば、読み手は第6章の続きを「自分で書く」以外にはない。なぜ金を出して本を買って、「続きを書いたり」しなければならないのか。それは、私が本当に読みたいことは私の中に眠っているからである。