床屋談義もいい加減にしてほしい
★☆☆☆☆
床屋談義を垂れ流している暇があったら、本業の小説をどうにかしてほしい。経済を語るようになってからの文章の劣化は酷すぎます。
巻末に掲載されているこの7年間の質問に、著者の経済を見る目の鋭さが感じられる。
★★★★☆
村上龍が主催する「JMM」という金融・経済に関するメールマガジンの村上龍のエッセイの部分をテーマ別に再編集したもの。
このJMMは、あの「失われた10年」と言われていた時代に創刊され、村上龍の質問に、金融・経済の専門家が回答するという形式のメルマガで、私も創刊間もない時期から購読していた。
この7年間の日本経済の変遷を振り返るのには、ちょうどよい書物であり、JMMは新たなメディアとしての役割を立派に果たしてきたのだと感じる。
村上龍が最後に述べている「質問する力」というのは、本当に大事だと思う。
巻末に掲載されているこの7年間の質問に、著者の経済を見る目の鋭さが感じられる。
大切な人と感動を共有したいということ。
★★★★☆
村上龍氏の経済・政治・スポーツ関係のエッセイはよく読みます。逆に小説は
あまり好きではありません。
○感銘を受けたところ
p.127 成功者の定義として、「生活費と充実感を保証する仕事を持ち、かつ信頼
できる小さな共同体を持っている人」という仮説を立てました。
→ワタミの渡邉社長がその著書の中で、人生にとって重要な6つの柱という話を
していました。
仕事
家庭
教養
趣味
財産
健康
私はこれに、心技体を加えたいと思っています。6つの柱について、心技体の観
点から強化をするというものです。それに加えて、他者との信頼感のある共同体が
あれば、人生はハッピーなのではないでしょうか。最近、年を重ねていくことに関
していいなと思ったことがあります。それは、「彼とは20年来の友達だ」という言
葉に代表される、時間の重みです。
若いうちは友達といっても短く鮮烈な経験でつながっています。中年に差し掛かっ
ていくにつれて、昔からの友達は少なくなっていきます。その中で、細いながらつ
ながっている、古い友達というのは、強い関係でなくても時間の重さを感じられ、
信頼感があります。
p.240
つまり、大切な人というのは、何か感動的な体験をしたときにそれを共有したい
と思える人です。
この感動をいつか共有したいという対象となる人が、その人にとっての「大切な
人」なのだと思います。
自分ひとりで感動した時以上の喜びがよき上がることもあります。それは広義
のコミュニケーションであり、私たち人類はコミュニケーションそのものに喜び
を感じる生き物なのでしょう
→上記は、とても共感します。私が一人旅ではなく、大切な人や友人と旅行に行
くのが好きなのは感動を共有したいのと相手が楽しんでいる・喜んでいる姿を見
たいからです。
旅行や宴会で幹事をやってよかったと感じる瞬間は、みんなが楽しんでお酒を飲
んだりおしゃべりをしているその時に、ふっと頭の中に「ああ、いい雰囲気の時
間だ」と感じられる時です。
こうやって本を紹介するのも、自分が感動した本を誰かと共有したいからなの
かもしれません。
問題意識を整理するのに役立つ。
★★★★☆
著者の精力的な活動範囲の広さには驚く。
私は著者の小説をまったく読んだ事がないか、コメンテイターというか、評論者としての氏の実力は高く評価している。もちろん、個々の論点や意見について、データや考察の不足を指摘することは可能ではあろうが、しかし、全体として著者の見識とバランス感覚の高さには驚く。特に本書ではそう思う。それはおそらく、読者というか参加者たちとの交換が頻繁に行われているからだと推察する。
良くも悪しくも知名度
★★★☆☆
村上龍氏は、小説というと斬新でギョッとさせられるようなものを書かれますが、エッセイとか評論となると、控えめです。
控えめというか「私は何も…と言いたいのではないのです」「○○かどうか、私にははっきり分かりません」という論調が多く、断定するような論調は皆無です。
お人柄なのでしょうが、正直に過ぎると言いますか、例えば
「『○○政権に何を期待しますか』と言うけれど、期待なんかせずに公約を実現するかどうかを見ていればいい」
「日本の子どもの平均学力が下がっても、わが子の学力が充実していれば、どうでもいいではないか」
など、一つ一つは「なるほどなー!」「そりゃそうだ」と思える視点なのに、全体としてあまり強烈な印象は残りません。
確か「ハバナ・モード」もそうでした。
おそらく、氏自身は押しも押されぬメジャーですが、その視点は「誰かが言わなければならないけれど、言ってもしょうがないし何も変わらない」というマイノリティーに終始し、大々的に取り上げられることは今後も皆無でしょう。
ものすごく知名度のある人が、ものすごく見向きもされない意見を、ものすごい執念で言い続けている。ずるい言い方をすれば「知名度を利用して言っている」ということではないでしょうか。