愚者崇拝
★★★★☆
本書に出てくる「ユロージヴイ」(聖痴愚、伴狂者)とは、
ロシアで見られる、社会通念やルールから凡そ逸脱して常軌を逸した言動を見せる
「神がかり的な奇人」に対する崇拝を指すらしい。その奇妙さは時に病理に限りなく近い。
彼らは時として子供に石を投げられたり、からかわれたり嘲笑されることもしばしばであったが、
人々に啓示や予言を与えたり、権力者を叱責しても許される「社会を超越した」存在であった。
常人と違った大きな犠牲を払い苦行に耐えてきた(ように見える)からこそ尊崇を集め、
権力者に物申すことが許されてきたのであろう。社会の大らかさを現しているとも言える。
現代のニューハーフがテレビで無遠慮にズケズケと物を言うことが
社会的になんとなく許容されているのに似ているかもしれない…。
亀山氏は佐藤氏も開き直り的ケノーシスを体現するユロージヴイとして、
ロシアの政治中枢へのアプローチを特別に許された存在であったのではないか、
と指摘するが、笑ってやり過ごされてしまう。
この場合の「愚」は頭が悪い意味ではなく、権力も死も何も怖れずに立ち向かっていくような
一切を超越した不敵さを指している。
この話が妙に印象に残ったので、あえて。
全般としてドストエフスキーなどのロシア文学、宗教、思想にある程度の予備知識がないと
理解が厳しい書に思えた。私はあいにく無かったのでその雰囲気だけ楽しませて頂いた。
興味深く読んだが、不思議。
★★★☆☆
ロシアへの興味と佐藤優さん目当てで購入したのですが、最終的に亀山先生に関心が行ってしまいました。まえがきで、「ウォッカに酔ってベッドに横たわりながら『これがロシアの大地か』と感じた」とか「赤軍合唱団の国家斉唱に涙が湧いた」という下りの青く激しい思い入れの吐露に早くもいささかメゲてしまい、本文での「父殺し」語りにさらに引き、最終的に、ロシア云々よりも、「かようにロシアに憧憬し一体化を求める日本人とは何なのだろう?日本人としてどんな意味があるのだろう?」と。確かに人間は異世界を求めるものではある。異なる何かを理解したいと切望するものではある。知的な人間ではあればなおのこと、そこで実証不能な思弁に耽って心を遊ばせもする。しかし。こういう日本人は、例えばシベリア抑留経験を持つ日本人の目にはどのように映るのだろう、と途中でふと考えてしまいました。こういった並列が反則なのも、次元が違うことも承知しているつもりですが、しかしどちらの次元の「ロシア」をレスペクトするかと問われれば、私はシベリア抑留組を指差すだろうなぁ、と。
読後感は、おそらく私は「文学青年」への理解や共感が足りないのだろう、ということでした。文学青年を否定的に捉えているのではありません。微妙な違和感とともに、文学の領域やそこに住む人々というのは思っていたより遥かに遠く不思議なものらしい、ということと、自分がロシアやドストエフスキーを巡る想像の共同体には参加出来ないらしい、と実感出来たのは収穫(?)です。ドストエフスキーや文学全般に深く思い入れるもののない方々には戸惑う一冊だと思います。
野性的で土着的なロシアがとても魅力的に思える本
★★★★☆
佐藤優氏の本は「国家の罠」ほか多くあり、どれも激動するソビエト・ロシアの政治・外交をリアリティを持って描き出していて面白い。また、亀山氏の「カラマーゾフの兄弟」は激しいドラマを素敵な活劇として読ませてくれた。このロシア専門家2人の議論は新書とは思えないくらい深遠で、ハラハラし、トリビアな知識にあふれて、時々専門書を読むときのように、エネルギーを使って理解しようと努力する必要もあったが、総じて読み応えがあった。この2人の作品をほかにももっと読んでみたいと思った。
亀山郁夫氏のポジションに違和感あり
★★★☆☆
結論から書くと、これまで数冊読んだ佐藤優の書籍の中で、本書が一番、最終ページまでの牽引力が弱かった。
本書のタイトルに「国家」と刷り込まれているが、一読した印象では、国家論というよりも、ドストエフスキーを中心としたロシア文学/哲学論の趣だ。
もちろん、佐藤優はそちらの方面でも、十分読書子をうならせることの出来る教養を身につけているが、今回の場合、相方に問題があったのではないか?
亀山郁夫氏は、「カラマーゾフの兄弟」の新訳で話題になった人で、佐藤優も高く評価しているが、東京外国語大学長という肩書きの割には、なんだか話していることが青臭く支離滅裂だ。特に、冒頭の「魂のロシア」というまえがきを読んだら、なにか学部の文学青年みたいな文章で、「これでほんとに大学長かいな?」とびっくりしてしまった。
将棋の棋譜のように明晰な佐藤優に比べ、亀山郁夫のほうは、なんというか、ブレているというか、読んでいて焦点が定まらないような部分が多い。内容が高度すぎるからしかたない、と言えばそれまでなのだが...
また、第二章などは、ほんとに、ドストエフスキーについてかなりの素養が無いと、活字を追っていくのが辛い。
これまで裁判や外交関係の話題で、無条件に佐藤優の本に遊べた人も、本書はかなり覚悟したほうがいいかもしれない。
逆に、ドストエフスキーや、ロシア思想史などに深い興味を持たれている読者なら、得るところは多いのかも。
新書の割には、読者の傾向を峻別する本だと思います。
ロシアを語らせたら最強と思えるふたりの自由闊達な対談
★★★★☆
ドストエフスキー研究で知られ、「カラマーゾフの兄弟」の新訳が話題となった亀山郁夫(東京外大学長!)と、ご存知佐藤優が、知り尽くした大国ロシアについて語り合う。欧米諸国や東アジアの国々に比べ、我々一般人にははっきりと全貌や歴史が見えてこないこの超大国の、思想、哲学、宗教、文学、政治、芸術、感覚らが垣間見られ、充実した読書時間を過ごせる。
何しろ、極めつけの知識人で、ロシア通であるふたりが、自身との関わり合いから、それぞれの分野のエキスパートとして培ってきた知識、情報が縦横無尽に繰り出されるので、第2、3章では、“おしゃもじおばさん”のさじ程度の知識しか持ち合わせていない者にとっては、ついて行くのがやっとの部分も多いのだが、自由闊達なその議論が、知的好奇心をくすぐられ、最後まで退屈せずに読める。
レーニン、スターリンからエリツィン、プーチンまで、革命以後の指導者たちを俎上に挙げた第1章は、外部から見ると大層シビアに思える人々の暮らしぶりの「貧しい平等の幸福感」や、この国を担ってきた歴史的著名人の逸話も紹介されて、かなり面白い。
折りしも、亀山訳の「罪と罰」が刊行された。亀山版を読み取る道標のひとつとして、本書を読んでみるのも良いと思う。