なぜ朝日ばかりこのような批判本が多いのか?その答えがこの本の中に垣間見える
★★★★☆
最初は、「リストラされた記者の愚痴本」と思って手に取った。しかし、読み始めると驚きの連続で、行き帰りの通勤電車で2日で読みきってしまった。
なぜ社会人経験の全く無い新人に警察回りをさせるのか、なぜ記者クラブなどという場所で全てのメディアの記者がつるんでいるのか。やらせのような写真撮影、「魔の○○」というような勝手な脚色。半年という短すぎる期間で記者が入れ替わる謎のニューヨーク派遣。全く読者のためにならないシステムが朝日には出来上がっているようだ。
これを読んで、新聞を購読するのであれば朝日は止めようと思った。しかし、朝日以外は健全なのか?と言われるとそれもはなはだ疑問。インターネットでニュースを読む時代において、それを見極める力は前より養われるのだろうか。この本を読んで、受け身でニュースを読むのは止めなければという危機感を覚えた。
5つ星ではなく4つ星としたのは、この本に書いてある「摘発」すべての情報源や過去の記憶が筆者のものであるため。欲を言えば、もう1人でもいいので朝日出身の人の証言があれば、独りよがりな印象が薄くなったのではないかと思う。しかし、実名でこんな本に名を協力する勇気のある記者もそうはいないだろう。実名で、これだけの情報を出した筆者に拍手。
なぜ朝日ばかりこのような批判本が多いのか?その答えがこの本の中に垣間見える
★★★★☆
最初は、「リストラされた記者の愚痴本」と思って手に取った。しかし、読み始めると驚きの連続で、行き帰りの通勤電車で2日で読みきってしまった。
なぜ社会人経験の全く無い新人に警察回りをさせるのか、なぜ記者クラブなどという場所で全てのメディアの記者がつるんでいるのか。やらせのような写真撮影、「魔の○○」というような勝手な脚色。半年という短すぎる期間で記者が入れ替わる謎のニューヨーク派遣。全く読者のためにならないシステムが朝日には出来上がっているようだ。
これを読んで、新聞を購読するのであれば朝日は止めようと思った。しかし、朝日以外は健全なのか?と言われるとそれもはなはだ疑問。インターネットでニュースを読む時代において、それを見極める力は前より養われるのだろうか。この本を読んで、受け身でニュースを読むのは止めなければという危機感を覚えた。
5つ星ではなく4つ星としたのは、この本に書いてある「摘発」すべての情報源や過去の記憶が筆者のものであるため。欲を言えば、もう1人でもいいので朝日出身の人の証言があれば、独りよがりな印象が薄くなったのではないかと思う。しかし、実名でこんな本に名を協力する勇気のある記者もそうはいないだろう。実名で、これだけの情報を出した筆者に拍手。
メディア業界の不思議な「常識」
★★★★★
元朝日新聞の筆者が、その朝日新聞社の「業界の常識 世間の非常識」な内容を暴露した本。
捏造の作られ方、どう考えても重要な事件が載らない新聞、海外特派員の腐敗、タクシー代の不正請求などなど、常識では考えられないことがまかり通っていることが指摘されている。
メディアに関心のある人、メディア業界に進もうと思っている人は必読だろう。
ただ、一点だけ気になったのは、上裕へのインタビューがオウムに渡っていたというくだり。
それ自体は問題だと思うのだが、この背景にある「取材した内容をどう記事にするかは記者の自由で、取材された側は一切口出しできない」という状況を筆者が当然視しているのにも個人的には驚いた。
一般人の感覚からすれば、取材されたら記事になる前に本人のチェックぐらいさせてほしいと思うものだろう。
記者の許可を得ずに見せるのも問題だが、勝手に記事にするのを当然視するのもそれはそれで問題だと思った。
なお、構造的にこれは他の新聞社にも当てはまるのだろうから、本書を引いて俗に言うアサヒ批判に結び付けようというのはお門違いだろう。
日常的な腐敗
★★★★★
著者は17年間の朝日新聞での「サラリーマン生活」で見た、記者クラブ制に象徴される思考停止、足の引っ張り合い、を明らかにする。それは評者が、いつもため息をつきつつも、かろうじて持っていた「朝日ともあろうものが」という信仰を打ち砕いた。
低い記事のレベル、論調の拙さは日本のメディア一般に共通する不勉強さ(と大学教育)に由来するが、それは「朝日新聞」という巨大な既得権益によって助長されていく。朝日新聞の正社員も含めて、巨大メディアの正社員であることは特権階級であることを意味する。朝日新聞が社会問題となったワーキング・プアを後追い的に(つねに後追い的であることがその能力を物語る)問題視しつつ、契約社員を酷い待遇のまま使い捨ててもそれが紙面にまったく載らないのはもはや驚くべきことではないのだ。著者は、自分の能力を高めたいと願う著者のような人間を抑圧するのみでつぶしていく朝日という会社の実態を明らかにする。
しかしこれは言いがかりかもしれないが、出版された時期を差し引いても、著者もこの特権性への認識から逃れているとはいいがたい。安定した終身雇用のサラリーマンという幻想をモデルに、その対価としての私生活の犠牲が耐えられなくなったことが著者に退職を決意させたと語るが、このような贅沢な悩みは<高度成長期から>大企業の一部の正社員のみがもっていた特権なのである(例えばNHKもNHKの正社員、子会社の正社員、その他正社員、非正規雇用で番組を作っているが、その他正社員は月給20万で昇給はされない)。
だからといって朝日の社員もワーキングプアになれというのは、公務員たたきと同様に労働者全体の生活の悪化を招くだけである。死滅しつつある新聞やテレビなどは自身の特権性を剥奪しなければならない。まずはメディア自らが同一労働同一賃金、ワークライフバランスといった記事や社説で訴えていることを実行すべきであろう。知識もなく、特権階級でこのままいるのであれば、「自然死」は避けられない。
朝日に限らず
★★★★☆
「朝日ともあろうものが」。
朝日新聞、というとやはりすごい人たち、信頼できる人たちが書いている新聞、というイメージがある。
だから、不祥事が起きたり欠点が見えると「朝日ともあろうものが」と言いたくなる。
が、しかしこの著書を読んでいるとそんな信頼感や羨望がものの見事に裏切られる。
この著書を読む限り「朝日ともあろうものが」、
既得権益にしがみつき志を忘れ、組織の膿を中にたっぷりと抱えた状態である事が伝わってくる。
例外はもちろんあるだろうし、著者の見たのは組織のほんの一部に違いないだろう。
に、しても驚いた。
一方で、この本を読んで、新聞を読むのが年を重ねるにつれて、だんだんとつまらなくなってきた理由が何だか分かった気がした。
多分、薄々知っていたのだ。記事が出るまでに、どういった過程を経て何が行われているか。
具体的には分からずとも、きれい事や理想論では到底片付かない論理で、
読者のことを必ずしも考えない読みものになっていることを。
「なぜこんなものがニュースになるのか?」
「なぜこんな書き方をしているのだろう?」
記事に対して漠然と感じていた疑問の数々が、内部にいた著者の言葉を通じて次々と明らかになる。
著者の苦い思い出として綴られている、交通事故死した生徒の母親がポスターを掲げる姿の写真の話。
記憶違いかもしれないけれど、この写真、多分見たことがあり
「一体この母親は自分の子供が亡くなったというのにこんなことをしてみせるのだろう?」と
不思議に思った記憶がある。
やっぱり、その裏には記者の「特ダネにしなければ」という脅迫観念があったのですね。
著者は自分が勤めていた朝日新聞に対する事として書いているが、
この本で描かれている組織の問題点は、
官僚組織等含め、既得権益を守ろうとする大きな組織には少なからず共通するものではないかと思う。