欧米人は処女をどう扱ってきたか
★★★★☆
西洋社会において「処女(性)」はいかに認識されてきたか、その実際を過去から現在まで大局的に見渡しながら、色々と興味深い指摘を行っていく好著である。「処女膜復元」手術がひそかに人気を呼び若者の「純潔教育」が熱心に実施される現状を意識しつつ、歴史の中の様々な処女イメージが明らかにされていく。
処女(性)は、時代時代の権力や共同体によって常にコントロールされるべき独特の意味や価値を持っているものであった。医学は一貫して女性が処女であり続けることの不健全さを示唆し、セックスを行い体液のバランスを調整することで女性の身体は健康になるとした。だが一般に共同体にとっては、女性が自由な性を享受し安易に処女喪失をしてしまうことは脅威であって(共同体に「穴」が開く!)、親がこれを管理する必要があった。とりわけ貴族は、嫡出子を獲得し財産の問題のない継承を達成するためにも、身内が結婚までは処女であることを非常に重視した。
キリスト教では、処女性は至高の価値の源泉であった。マリアは処女懐胎し、イエスもその純潔さが説かれてきたからであり、また修道士・修道女たちも「処女」として生きることで尊厳を認められてきたからである。プロテスタントはこの処女主義を批判し、結婚して家庭を築くことの意義を強調したが、されど他方で、内面的な純潔さ≒処女性は固守しようとした。18、19世紀に女性が家庭に追いやられると、このプロテスタント的な純潔観は、家庭内における女性の道徳観を拘束することになった。
また、処女性の存否において大きな論題となったのが、レイプであった。強引に性器を犯された女性は、なお「処女」でいられるのか、これが繰り返し問われてきた。心が純粋なままなら未だ「処女」だという意識は今も昔も強いが、しかし、女性の「性欲の強さ」を陰に陽に語りながら女の側の責任を主張し、もはや処女性を認めない立場も根強くあった。レイプされた女性の権利がしっかりと承認されてきたのはごく最近の話であり、ノーマルでないやり方で処女を奪われた女性の立場は昔からかなり悪かった。
その他、文学における処女性の修辞学など、各種の議論があれやこれやと集められており、ややまとまり欠けるが、全体的にはおもしろく読めた。