The End of Economic Man: The Origins of Totalitarianism
価格: ¥2,070
経営学の「神さま」として知られるP.F.ドラッカーの実質的な処女作で、初版は1939年。「本書は政治の書である」とはじまる初版本への前書きは鬼気迫るものがある。
「ファシズムとナチズムがヨーロッパの基本原則を脅かす存在であることを知るがゆえに、私は全体主義についての通常の解釈や説明を受け入れるわけにはいかない」「したがって私は、全体主義について、意味のある的確な解釈と説明が必要であると考えた」と、本論ではファシズム台頭の背景を分析。そして宗教が、知識人が、政治家が、これにどうかかわり、何をして何をしてこなかったかを、知識と理論を武器に正面から斬り込んでいく。
一方で全体主義国家での産業、食糧、所得などの変化を克明につづっている。
これが著者20代の思索と知ると驚くばかり。読むものに緊張を強いるほどの真摯な筆致で、学問の神髄を感じさせてくれる1冊だ。
ドラッカーが本書で浮き彫りにした問題の多くは、世紀をまたいでなお持ち越されている。全体主義の指導者原理(225ページ)と、それに熱狂する民衆の分析は、そのまま現代のカルト教団やテロ組織にあてはまるし、「大衆の絶望」「虚無主義への逃避」といった危うい状況を安易に払拭するためのカリスマ待望論も聞こえはじめている。
密度が濃く、読み解くのは骨だし、重い荷物を負わされた気分になる本でもあるが、「われわれ全員の人生が、あの時代の影響を受けた。われわれはいまだに『何が起こったのか』ではなく、『どうすればあの事態を防ぐことができたか』を考えている。過去を説明することよりも、過去を再現させないことに心を奪われている」から始まる1969年版序文を読むだけでも、この本の価値は十分にある。そしてこの本は「あの事態を防ぐこと」のできる読者に育つように強烈なメッセージを放っている。(松浦恭子)