滅びゆく複雑な過程をありありと
★★★★★
29〜31巻についたタイトルは「終わりの始まり」。楽しく読み続けてきた物語なので、ローマの終わりが始まってしまうのが残念でならない。しかし、終わるものは終わる。波濤の浸蝕に晒される岩石がいずれ磨滅するように、巨大な帝国も防備を怠れば滅びる。帝国が巨大であるがゆえに、滅びゆく過程が複雑であり、その原因は単純ではない。
この巻では五賢帝と呼ばれる5人の皇帝の最後に当たるマルクス・アウレリウスを扱う。といっても、アウレリアスの統治からいきなり始まるのではなく、前代のアントニヌス・ピウスの時代にどのようにアウレリアスが育ったかという長い長い前置きがある。賢帝の時代の最中に「終わりの始まり」があるとする塩野さんの筆鋒は鋭い。
ローマは前3代の賢帝の治世下にあり、空前の繁栄と平和を享受していた。ローマの市民たちは自分たちが蛮族に取り囲まれていること、防衛線上に駐屯している軍団が帝国の平和を継続させる生命線であることを忘れてしまった。前3代の皇帝は、前線の重要性を知っており、そのメンテナンスを怠らなかったが、現場経験のない4代目はそれを怠ってしまった。
そのツケを払わされたのがアウレリアスの時代だった。彼の時代にはテヴェレ川の洪水、パルティアの侵攻、天然痘の流行と困難が続き、その上ゲルマン民族の侵入も相次いだ。軍事経験のない内省型の皇帝が、皇帝になって初めて現場を巡って前代のツケを払うのだから、その姿は気の毒そのものだ。
「最良の皇帝」からローマ帝国衰亡がはじまる皮肉
★★★★☆
後世から最も評価されている皇帝といわれるマルクス・アウレリウス。五賢帝のなかでも最良、かのカエサルやアウグストゥス、ティベリウスなどと比較しても高く評価されていることを、塩野氏は「人々の心を捉えるのに最も有効な『声』と『肉体』を遺した」からと評します。
さて、その哲人皇帝を取り上げた本編。前巻となる本書では、その生いたちから書きはじめ、エリートとして施された教育、20歳になる前に共同統治者に指名された後に皇帝になるまでの実質「皇太子」時代にかなりの紙面を割いています。
そして、皇帝就任後、隣国パルティアの侵攻、蛮族の侵入、疫病の流行など、次々と難事が降りかかり、マルクスはその対応に追われます。これらの苦難は「書き残すようなことは何もないくらいに平和だった」前帝の23年間に徐々にその要因が育ちつつあったのでしょうが、塩野氏の明言していないように、何が悪かった訳でもなくいつのまにか色々なことが悪い方向に流れていったような印象を受けました。
盛者必衰は歴史の必然なれど、明らかな失政がそれほどないなかでの帝国の「終わりの始まり」は歴史の不条理を感じざるを得ません。
本巻以降は、ローマ帝国の衰亡の歴史に話が移っていくのでしょう。これまでの活力に満ちたローマ像から離れていくようで、読み進むにも少し気分が滅入る気がします。
帝国のかげり
★★★★★
賢帝アントニヌス・ピウスの穏便な帝国運営の影で、徐々に帝国の基盤が揺らぎ始めていたというのは面白い。確かに23年間もの統治を終えて哲人皇帝マルクスに引き継いだ年からあらゆる問題が表面化してくるのは前任に問題があったとするしかない。
「ハドリアヌスが偉大だったのは帝国の再構築が不可欠だと誰もが考えなかった時期にそれを行ったことだ」という一文には深く考えさせられる。
うまく機能しているかに見えた帝国の大いなる機能不全
★★★★★
うまく機能しているかに見えた帝国の大いなる機能不全、それこそが即ち、帝政を維持する上で、「肝心」と言っても良い、明確な皇帝選出ルールがなかったことであろう。
つまり、実子がないうちに皇帝が死んだりすると、各地で軍司令官が、勝手に、「兵士に推された」という形で皇帝になることを宣言し、結果、混乱と、最悪の場合、内戦を引き起こす・・・ということが起こり、それを繰り返しているうちに、ローマは衰退を始めたと。
まあ、それは当然と言えば当然でしょうね。
一回、二回ならまだしも、しょっちゅうやってれば、周囲の外敵に侵略のきっかけを与えることにもなり、そうならば、防衛費も膨らみ、国家財政を圧迫することにも繋がるわけで、むしろ、そんなことをたびたび、繰り返していながらも、あれだけの長きにわたって、隆盛を堅持し得たことの方に驚きを禁じ得ません。
ただ、であれば、なおのこと、ローマがまだ、隆盛を誇っている時代に、特に賢帝と呼ばれる人たちの在位中に、どうして、このシステムの弊害を認識し、そうならない為の仕組みを作っておこうという努力がなされなかったか・・・という点が、私には何とも不思議でした。
五賢帝最後の皇帝にローマ凋落の翳りが見える
★★★☆☆
今日紹介するのは、塩野七生さんの「ローマ人の物語」29巻です。
文庫版なので、なにげに凄い巻数になっていますが、ハードカバー版でいえば11巻である「終わりの始まり」を三分割したものの最初の巻です。ローマの歴史を著者の考察を交えつつ、始まりからずっと綴ってきた「ローマ人の物語」もいよいよローマ帝国の衰亡の始まりにさしかかりました。
今回登場する皇帝は、五賢帝の最後を飾る「哲人皇帝」マルクス・アウレリウス。プラトンの言を待つまでもなく、ユリアス・カエサルから始まった皇帝たちの中でも、歴史上で最良の皇帝としても名高いのがこの人物ですのでご存知の方も多いでしょう。
しかし、このマルクス・アウレリアスの御世から、ローマが衰えていったのではないかというのが著者の考察です。一般には、彼ほど有能で評価の高い皇帝はいません。常に思索をなし、公正であることに勤め、パルティアを完膚無きまでに叩き平和を達成し、子供を二十人近く設け、よき人、よき夫としても皇帝同様に責務を果たした彼は間違いなく、現代ローマでも評価されている人物です。
しかし、それでも塩野さんは、彼が即位の前に二十三年間、17歳から40歳までの間、アントニヌス・ピウスのもとで次期皇帝として存在していた期間に、平和を享受するだけに何もしなかった事がその原因ではないかと考察します。あまりに平和な時代だったからこそ、史料もほとんどない時代だけに、全てが推論の上での話ですが非常に考えさせられるテーマだし新しい切り口だと思います。
どうして、千年帝国とまで呼ばれ、他民族国家として完成されつくした感のあるローマが滅びたのか。
そこを考えていくのは歴史好きとしては非常に楽しい作業です。
今迄のローマ史を振り返りながら、本当にそうなのか、もっと違う要素はないのか、例えばキリスト教徒は? 民族としての意識や帝国としての意識(このあたりは非常に面白いもので、大英帝国が健在の頃、インドや中国では英語が通じたにせよインド人や中国人は決して自分たちを英国人だとは思わなかったでしょうが、この時代のギリシャやシリア人は自分たちをローマ人として捉えていました。この差が凄い)はどうか? 知的好奇心を刺激する一冊です。