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アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)

価格: ¥924
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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古典経済学を補完し、過去から現在を導き出す書物 ★★★★★
 明快かつ読み応えのある一冊です。
 自由な市場では「見えざる手」が自動的に解決してくれるという楽観論に対しロジカルに警鐘をならし、市場に全てを委ねるリスクと、同時に自由な経済活動のもとに、経済と社会を健全に発展させるために必要な要件を「道徳感情論」より示しておられます。
これは「グローバル化」という名の現代社会の「混乱」にも対応できるものです。

誤解されたスミス像を正す ★★★★★
スミスは、現代経済学という、現在では、確率微分方程式の様な、数学の一分野に成ってしまったかの感がある学問の源流であるが、スミスの時代に於いては、経済学は「倫理的社会論」の一分野であり、人間が「人間らしい社会」の構築に必要な、資本の合理的活用を論じた、社会経済の根幹を成す思想であった。昨今の、アメリカ型資本主義ー(ここまで極まった独善と我欲)の論理である、ハイエクやフリードマンなどが主張する新自由主義のテーゼである、「自由放任の経済活動こそは人知の枠を超えて、経済は、神の摂理の如く調和して、全てが最小費用で最大の利益を生み、上手くゆくだろう」などと言う事は、有るはずは無い。この言葉の現代的解釈(アメリカの強欲資本主義)が、如何に、スミスの精神から逸脱したものであるかを考える、一つの指標と為る新書であろう。

貧困の問題は、人類が二十世紀に解決できなかった最大の問題の一つである。人間社会が、今のように、3%の人間が世界中の富の87%を専有する世界は、人間らしい社会といえる社会では無い。この様な世界は、絶えず、諍いと軋轢を起こし、戦争と殺人を起こし続ける社会に他ならない。21世紀も、既に十年を経過した。不況と好況、爆発する資本の論理による生態系の破壊、この問題をこの21世紀に解決できなければ、人間はおそらく滅ぶに相違ない。人間は生き物の命を食らって生きる宿命の悲しい生き物であるが、この地球という惑星は人間だけのものでは無い、あらゆる生き物の為の地球なのである。この事を人間達は、もう一度根幹から考え直すべきであろう。人間の現在のシステムは基本的な点で狂っているとしか思えない。21世紀のこの世界で、健康保険が無く病気であっても治療が適応されない63%の人が住む国が、果たして文明国と云えるのだろうか?

スミスの他の著作は、「諸国民の富」そして、近年岩波文庫として翻訳された。「法学講義」「道徳感情論」などがある。この様な著作からスミスの全体像を思えば、彼を単なる経済学者として見るのは、完全な的外れと云えるであろうし、スミスの時代に経済学者という名称はない、彼は、グラスゴーの論理学の教授であり、倫理道徳哲学を講じていた学者である。そして、今から思えば余りにもルソーと同様に人間の自然状態に於ける性善説を信じていたのであろうか?文明とは知恵の進歩であろうか?と、するなら、知恵とは、自我の肥大の一種であり、自己の利益の為のみが、行動の動機になる可能性は大きい。(知能いよいよ多くして、徳いよいよ薄しー淮南子)その様な行為が、果たして倫理や利他性を期待し得るであろうや?おそらくスミス自身に関して云えば、キリスト教の倫理が身中に生きていた事は確かであろう。「時間的人間学」とでも謂うべき事柄が、人間が調和を保って生き続けるには必要に思う。世界をより良く変えるには、おそらく人々の人間観に掛かっている。価値観ではなくて、人間観に掛かっている。

資本主義経済学の起源は一体、何時ごろの事であろう?ウェーバーは「プロテスタンチィズムの倫理と資本主義の精神」の中で、倫理的・合理的・行動を、中世の手工業者の中にその起源を求めたが、実際はどうであったか分からない。学としての経済学は、近代社会に移行しつつあったスミスの著作をヒントに、突き止められる可能性はある。東洋では、この様な思想の起源はいつどこで始まったと考えるべきなのだろう?経済思想史としては、興味深い問題なのではなかろうか?この新書は、安価で、かつ、読み応えがあり、考えを深めるための、多くの事例を示し、教育的価値の高い優れた著作です。
経済学徒だったので ★★★★★
経済学徒だったので、国富論は読んだことがありました。
道徳感情論は読んだことがありませんでした。
2つの理論の背景と関係が分りました。

近代理論を築いたアダムスミスの体系の源泉がなんとなくつかめたかもしれません。
市場原理の前提は、競争に参加している人々にモラルがあることである ★★★★★
「諸個人における財産形成の野心によって、市場は拡大し、資本は増大し、その結果、社会が繁栄するp.271」「文明が進歩し、人間が豊かになるのは、富に対する人間の野心があるからである。・・虚栄心を持つことによって、人間は、勤勉に働き、技能を磨き、収入を節約する。・・このようにして経済が発展し、文明社会が形成されるp.87」しかし「財産形成の野心や競争は正義感によって制御されなければならない。制御されない野心や競争は社会の秩序を乱し、結果として、社会の繁栄を妨げることになる。P.271」「フェア・プレイのルールを守ること、・・・正義感によって御された野心、および、そのもとで行われる競争だけが社会の秩序と繁栄をもたらすp.101」道徳感情論と国富論の内容をそのまま書き出しただけの記述が大半を占める本であるが、なにせこの二つの著作は大部で、展開されている議論もまどろっこしく、我々凡人にはこのような図入りの解説本が無ければ内容を理解することは難しい。内容は地味な本だが、「個人は、社会から切り離された孤立的存在ではなく、・・社会的存在としての個人なのであり、・・胸中の公平な観察者の是認という制約用件のもとで、自分の経済的利益を最大にするように行動するp.272。」つまりスミスは個人はアトム(原子)のような存在ではなくモラル・社会性があることを前提にして市場原理を考えていたことを一般人にも理解できるようにしたという点で画期的な本。つまりモラル無き企業人がはびこる現代にはスミスの市場原理は適用できないということである。
ステレオタイプを抜ける快感 ★★★★★
経済学の新参者にとっても良書といえます。
アダム・スミスの著作『道徳感情論』、『国富論』に触れ、人間の本性と豊かさに関する一般原理に迫ろうとします。読破するにはかなり体力を要しますが、とにかくゴールすればさわやかな風が吹くというか、血肉になる本です。

スミスとは別に、ステレオタイプの怖さと、そこを抜けたときの知的快感についても気づかされます。日本人は「サムライ」と同様、スミスは「見えざる手」。この一言で片付けられ、知らされることのなかった内容のいかに深いことか。スミスの論は経済学にとどまらず、道徳・哲学的な考察へと及ぶので、どのような学術分野の人でも一度は読まれるといいかも知れません。このようにスミスへの扉を開いてくれた著者に感謝です。

スミスは幸福について、心の「平静と享楽にある」としています。これは竜安寺の蹲踞(つくばい)に刻まれた「吾唯足知」(われただたるをしる)を想起させます。どの時代にも現代にも光と影があり、そこを我々がどう生きるか、そしてどのような社会を目指していくべきかが問われているのです。
二冊の本を上手く繋げた良書。現代の課題… ★★★★★
二冊の本を上手く繋げた良書。現代の課題にも通じる必読本である。