著者の能力不足による消化不良
★★☆☆☆
それぞれのアメリカ保守思想家の周辺部をなぞるだけで、全く本質に迫れていない。おそらくそれは、この著者自身、ここで紹介されている思想家たちの本をほとんど読まずにその周辺部にある解説書を読んで(翻訳して)この本を書いているからだろう。
この本の中には「よくこんなことまで調べたなあ」という事実や、著者自身の経験による面白いエピソード(例えば、エドウィン・マクレランがシュトラウスとその門下生について「あの人たちは人種差別主義者ですよ」と言ったという話など)もある。しかしこれらに興味をかきたてられて、さあいよいよ思想の核心に触れてくれるかと思いきやそこで章は終わってしまう。実にフラストレーションがたまる。要するにトリビアばかりで、思想の解説や著者なりの理解というものが全く示されていない。これを読んでも結局アメリカの保守本流の思想とは何か、リベラルとは何か、ネオコンとは何か、理解することはできない。それは、著者が自分自身真摯にテキストに向き合い、咀嚼し理解しようとせず、それらの周辺にある解説書だけを読んで理解した気になっているからであろう。あるいは抽象的に物事を考える能力の欠如である。
こうした態度ではいくらプロのジャーナリストの特権として、大物に直接話を聞いたところで全く無意味である。思想やアメリカ政治に関する基本的な用語法の間違いも散見される。要は著者の実力不足ということであろう。
多様な現代米国思想をジャーナリストの眼で描いた好著
★★★★☆
試みにリベラルという言葉を広辞苑で引いてみると自由主義的あるいは自由主義者となっている。従来の日本語の感覚からいうと自由を重んじて政治的には統制経済に反対の立場に立つ人物がリベラリストとなるが、どうも違うらしい。
米国政治は共和党と民主党の2大政党制といわれる。共和党は保守政党であってネオコンとはそれが先鋭化したものとして日本でも揶揄される傾向があるが、そう簡単なものではないらしい。また民主党はリベラルといわれるが、ハイエク流の自由主義を指向しているわけではなく、著者は誤解を避けるためリベラル(進歩派)としている。これらのことは米国政治や思想に詳しい人にとっては自明のことなのかもしれないが、素人にとっては理解のために有難い。著者はジャーナリストであり直接、思想家に会って取材をする強みがあり説得力を増している。
米国ではエドマンド・バークの保守思想を継承する思想家が戦後のラッセル・カークまで現われなかったのは意外であった。ネオコンの出自についても興味深い事実が語られる。そして米国ではどのような態度を取るにせよ、宗教(キリスト教)と思想は切り離すことができないことが実感される。
確かに現代の米国の(政治)思想は多様であり、また同じ思想家においても変化して止まない。そしてサブプライム問題を契機とする世界的な金融崩壊の脅威の中から今後、米国でどのような思想が生まれてくるのであろうか? 著者には是非、フォローしてもらいたいものである。
ジャーナリストが描く思想
★★★★★
ジャーナリストが思想を描くとこうなるのか。まれに見る本だ。漱石の「こころ」の英訳が生まれる背景にあった思想史のドラマを描くエピローグは白眉だ。ハイエクと江藤淳が、不思議な縁でつながっていく。そのドラマを読むと、思想のグローバルな動きに粛然とさせられる。