切れ味するどい辛口エッセイ
★★★★☆
間違っていることは否定し、腹が立つことには腹を立てる そんな著者の態度が、純粋でうらやましく思える。
著者には、芯の通った考えがあるため、辛口エッセイといっても、納得がいく。
同時に、自分の考えはどうなのか、と自問自答することになるだろう。
刺激になる一冊である。
同工異曲の思想エッセイもどき
★☆☆☆☆
どうせ「そんなもんだろう」とタカを括ってこれまで読まないで来たが、やっぱりそうだった。この著者はネットより自分で考えろと説いているが、本書で展開されるゆる〜い各所論は、ネットがあれば新聞は要らない、ネット書店さえあればリアル書店には足を運ばない、だって俺は情報の入手もネット操作で完璧だモンねと浅はかにも得心している輩と言っていることは一見正反対のようだが、その内実においてほとんど同じだからだ。著者の語る「普通の言葉」が「難しい言葉」と格闘して、実人生を積み、研鑽されてきたものではないという点において。
先行レビュアーの1人が妥当にも酷評しているが、「普通の言葉で哲学を語る」などといっているその語られた中身が、大森荘蔵とまでは言わないまでも鷲田清一ほどの透徹したレベルにあるならともかく、およそお話にならない駄文の垂れ流しであるからだ。
この程度のものが読者に受け入れられ、何冊も同工異曲の本が刊行されるというシーンは、最早馴染みのものであって、そのことについては何も言う気にはならないが、普通の言葉の背景に思いを巡らせるくらいの気概と執念を読者側も持たないと、それこそ「搦め手」で資本や政治なるものに窒息させられてしまう。
著者は既に亡くなっているから、次の作品は生まれないが、読者は次の生活や思想活動があるのだから・・・。
「自分の頭で考える」「日常語で語る哲学」〜好い加減にしろ!
★★☆☆☆
著者は、頭は悪くないと思うし、自分で言うだけあって一応自分の頭で考えて一応妥協しないだけの頑固さはあると思う。つまらない論題でエセーを展開する辺りは、ひょっとすると糞の役にも立たない入試の「小論文」の手本だったりして。マルクスを「二流だ」ときっぱり言って捨てる辺りは、わたしは一理あると思うし、学生運動出身で、頭でっかちのマルクスおたくの「思想家」よりセンスがいいかも知れない。でも、どうもどの議論も空々しくて、まともに請合う気がしないのは、要するに、世間で「もまれていない」せいだと思う。なんだか理屈ばかり言って、自身の経験の狭さや無さから来る不可避的な不安を「頑固さ」と「信念」でぐっと抑えた反動で威勢の良い事を言うが妙に空々しいのは当然だと思う。でも、こんな本ばかり書いて、それを好んで読む読者が多いというのもねえ。。出版社も再販制度などで自由競争から守られた恩恵があるなら、もう少し商売抜きで企画を考えて欲しい。知識も準備もなしに読んで何となく考えたような気になる本ばかり出すのは良くないよ。慶應閥がこれを担ぐんだからなあ。。。何が「普通の言葉で語る哲学のスタイルを確立した」だ、好い加減にしろ!
痛快なぼやきエッセイ
★★★★☆
「14歳からの哲学」はやや狙った感じがあって受け付けなかったが、この手のぼやき・なげきエッセイは著者らしさが滲み出ていて共感を覚えた。「情報不足」とか「了見が狭い」などの指摘もあるが、少ない情報源の中で事の本質を捉える力量はむしろ評価すべきであろう。
メッセージは言い切り型で分りやすい。内容の是非は別として、ズバっと結論を下す姿勢が心地よい。考えてもみてほしい。前提条件を大量に示し、「結論は状況によって変わる」という書き方をすれば、読者を煙に巻くようなものだ。「結論はA!」と断定することによって、受け手は考え始めるのである。著者の意志が伝わる一冊といえよう。
他の本も読んでみたくなりました
★★★★☆
生きていることが当たり前でないのにどうして他に当たり前でないものを
求める必要性が人間にはあろうか、そんなことをしている暇があったら
生きてること自体を不思議に思え!ばか者!みたいなものを
改めて教えてくださる好きな本です。
ちょっと上から目線ですが、そんなに私は嫌いではなかったです。
数行だけでも充分得るものがありました。
個人的にはこうゆう方がいるんだなぁと知ることができた自体が
とても貴重なものでした。心が洗われました。
帯って言うんでしょうか。インターネットは必要ではないと言い切ってるところは
本を沢山チェックして買ったりする私にとって、必要ないはあえて言い切ったんだなと解釈しました。要はインターネットの使い方には注意せよだと思います。
考えるとゆうことを勘違いしてしまわないよう注意したいです。