菊理媛へのヒントあり
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古代人の信仰を解き明かす上で折口信夫は避けて通ることのできぬ天才であって、飛躍した論理は深い見通しのきかぬ天の八重雲から立ち現れたかのようである。
「水の女」にある菊理媛への言及に、その一例を見てみよう。
「いざなぎの禊ぎに先立って、よもつひら坂に現れて、白す言あった菊理媛[ククリヒメ]はみぬま類の神ではないか。…その言うことをよろしとして散去したとあるのは、禊ぎを教えたものと見るべきであろう。くゝりは水を潜ることである。泳の字を宛てているところから見れば、神名の意義も知れる。くゝり出た女神ゆえの名であろう。」
菊理媛が水と禊ぎに関わるならば、大祓詞の瀬織津姫と見ることもできるだろう。
折口の弟子に当たる筑紫申真アマテラスの誕生 (講談社学術文庫)によると、天津神はまず大空を船に乗って目立った山の頂上にたどり着き、用意してあった樹木に寄りつく。その木を川のそばに引いてゆくとカミは木から川の中にもぐって姿をあらわし、その川にカミを祀る巫女が身を潜らせ〔菊理媛〕すくい上げるのだという。
この通りであれば、禊ぎの根源に天津神の天下りの祀りが隠されており、何故菊理媛の伝承がほとんど残っていないのか、その理由も推測できようものである。
このほかにも「古代生活の研究」に初夢の宝船が好ましい初夢を運んでくる船ではなく、もともと悪夢・穢れを積み去らせるものであったと記されているのにも驚いた。元旦に悪夢を祓い流すので、初夢は二日になるのだが、そこが分からなくなって、初夢にも宝船の絵を用いたものらしい。そうするとこの穢れを祓う船は大祓詞にある「大津辺に居る大船」に示されているのと同じ信仰に基づくことが分かる。