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大いなる看取り―山谷のホスピスで生きる人びと

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本
ブランド: 新潮社
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医療関係者必読の書 ★★★★★
医療関係者、必読の書だと思った。
われわれは常に人様の死と接し、それが何を意味するのか常に自問自答している。
しかし、この本は、「おい、そんなに深刻になるなよ」と登場人物の一人一人が語りかけてくれているような気がした。
決して暗くない、むしろ生き生きとしている。生きることの輝きを感じた。
荘厳 ★★★★★
山谷という特殊な町を知るには、住民の人生を知るのが他のどんな情報よりも確かではないかと思い、この本を手にしてみた。その一方で、人の死に際を取材しただけでは物足りないのではないか?また、対象を絞ることなく、死にかかる物語を並べるだけで深みがない短編集ではないか?という危惧も抱きながら。

しかしながら、やっぱり人の死というのは荘厳で人の生き様を雄弁に語る。その人の人生については、多くても2〜3人からの伝聞を記載しているに過ぎないが、その人の死に際の表情や様は、重ねた苦労や取り返しのつかない失敗への念い、愚かさ、悔しさ、諦め、納得、というものをよく表している。「ある愛の終着駅」なんかは、読んでいて、山谷に行き着いた人の人間らしさが骨身に沁みる。

ふと思うのは、ドロップアウトする人達の多様性。この本に描かれている人々は大正か昭和初期の生まれ。戦中、戦後の不安定な世の中では、全ての人にとって「山谷」が間近な可能性だったのかもしれない。今だって、上司を殴り、その後も頑な生き方を捨てることが出来なければドヤ街で暮らして、浮浪者になることだってあるだろう。

でも、現在、ドロップアウトしてしまう人達は、いじめや引きこもり、ストレス等が要因となっている場合が少なくなく、その要因に昔ほど多様性がなくなってしまっているのではないかと危惧してしまう。社会がそういう人を生み出し、追いやる構造になっているとすればやはり憂うべきだ。
「死にゆく人とともに歩む」 ★★★★★
この本に触発されて、山田洋次監督の「おとうと」制作が行われたことを知り、この本を手にしました。

「きぼうのいえ The House of Hope」−山谷に作られたホスピス。
そこには、ヤクザや元731部隊員をも含む様々な人たちが辿り着きます。
この本を読む前は、「死」を告知された人々が、辿り着く終着点と考えていました。
でも、この本を読んでゆくと、そこには「生」を強く感じます。
告知された「死」までの間、いかに「生きる」のか、その事の重大性を強気感じさせてくれます。
そして、彼らを励まし、助ける人たちの強い「熱」を感じます。
更には、そうした場所から離れている自分に後めたさを感じます。

この本を読む時、「暗さ」を予感していましたが、見事に外れました。
案に相違して、そこには「生」の輝きがありました。
それには、入居者同士、入居者とスタッフの強い絆を感じたからかも知れません。
又、デーケン教授が語るように、心温まる人が共にいる事とともに、「ユーモアの精神もホスピスの精神の中心にあります」と言う事なのかも知れません。
いずれにしても、入居者はその生活を楽しんでいるように見えます。
それだけに、重いテーマでありながら、変な言い方ですが、楽しみながら読むことが出来ました。
濃密な言葉に触れることで自己変容をもたらす書 ★★★★★
 人生の最後の日々には、その人の生き方が凝縮して表れるといわれる。ドヤ街、山谷のホスピス〈きぼうのいえ〉を終の棲家として選んだ人々は、世間から冷遇された壮絶な人生を送ってきた人たちが多い。普通であればネガティブな感情を抱いたままで死を迎える可能性が高いこうした人々を、〈きぼうのいえ〉のスタッフは温かい愛情で包みこむことで、その最後の日々を安らかなものへと変えていこうとしている。
 筆者はこのホスピスで暮らしている(いた)人々に丹念なインタビューを行い、人生に傷ついた者だけが語りうる、奥行きに満ちたライフヒストリーを、施設で働くスタッフたちの人となりの紹介とも絡めながら見事に描き切っている。しかし、この本は感動的なライフヒストリーをただ寄せ集めただけのものには終わっていない。「あとがき」で筆者自身が述べているように、ホスピスで暮らす人々が送った人生への興味が、それを超えた生と死の問題へと筆者の興味関心を変容させ、こうした問題に対する筆者の思索が内容にもそのまま反映されているからである。
 本書にも登場するキューブラー・ロス博士はその自伝の中で、肉やコーヒーを口にする自分が神秘体験をしたのは不思議だとある講演会で述べたところ、一人の高僧から死に行く人々の言葉を熱心に聞くことが一番の霊性修行なのだと指摘されたという体験を記している。死に行く人々の言葉を心を込めて聞き、それを肯定も否定もすることなく受容すること。筆者もまたこうした行為を行うことで、ある種の自己変容を体験したのではないか。そして他者をそのまま受容する、愛情に満ちた筆者の文章に触れることで、読者もまたある種の自己変容を体験することになるような気がする。少なくとも私はそうだった。
ズシンと考えさせられます ★★★★★
日雇い労働者の街、東京の山谷にある、
行く場所のない人のためのホスピス「きぼうの家」。
ここには、ホームレスから訳あって家族と暮らせない人々が
「死」までの時間を過ごすのだが、
「その人がその人らしく生きる」ために
この「きぼうの家」は存在する。

肉親に囲まれていても、心中寂しく最期を過ごす人も多い中、
このホスピスでのスタッフが、肉親以上に心を砕き、
愛情を注いでいく姿は、感銘を受けると共に
自分は果たしてこんな風にしてあげられるだろうか、
また、こんな風に幸せに死ねるのだろうか、と考えさせられる。

そして、著者が、最初は入居者の過去に興味を持ったとあるように、
ここにいる人たちの、すさまじいとも言える歴史が丹念に綴られ、
まさに「小説より奇なり」、それだけでも読む価値がある。

本書は、幸せに「死ぬまでを生きる」一つの道標となり、
日本の老人の孤独死を減らす具体策であり、
何より、人はこんなにも人に優しくなれるのか、と教えてくれる。
折に触れ読んでいきたい一冊である。