イタイ本です
★☆☆☆☆
まず、高評価のレヴュアーが多いことに驚きます。著作を虚心に見る限り、由良にはその学問を正確に測るに足る主著がなく、四方田にしたって、多作ではありますが、評価はいまだ定めがたい書き手です。なんとなくの業界的評判だけで本書を判断するのは禁物でしょう。
面白い細部はあるのです。竹田崇元、中山元、船曳由美といった名前を見出して、評者も大いに興を覚えました。ただ、章のタイトルに象徴されるように、全体として本書のあまりに大仰な身振りはどうしたことでしょう。アイロニーが感じられない大真面目な筆致(それは解説者にも伝染しているようです)がいっそ不気味です。まるで二人の関係はダンテやらウェルギリウスやらをことさらに持ち出さないと収まりがつかないほど崇高?なものでした、と言わんばかりですもの。率直に言って、イタイほどに滑稽です。
時代背景をよく示している本とか、意外な人間関係を教えてくれるという美点もあるのですから、本書が、柄にもない自己劇化が主調のメモワールではなく、ささやかだけれど親密感に溢れた、より謙虚な回想であったならと、思うばかりです。
蛇足ですが、由良君美はけっして奇人の部類ではないと思います。父君哲次の同門土井虎賀寿、近年では「本邦最後のラテン詩人」水野有庸らが真の奇人でありましょう。前者にはモデル小説が、後者にはお弟子による追悼文集がありますから、ご一読を。
学問の師、或る知性へのオマージュ
★★★★★
東大名誉教授としての名を成した英学人の出自と晩年の崩壊を、教え子という特異な立場から回想、追憶した小評伝。初出は月刊文芸誌『新潮』で一気に発表されたものの単行本文庫化。加筆はないが病名等事実関係に若干修正、稲賀繁美氏の解説を付す。
よくある文人学者の逸話が断片的に纏められているだけとも言えるが、若き日の新鮮な知的興奮と晩年の奇行奇矯の数々はあまりに対照的で落差が激しく読むだけでやはり傷心憔悴させられる。文学研究は方法に基づかねばならないという師と弟子、「先生」と「わたし」が最後まで共有し続けた、そして今でも共有している知的態度は、一方では小林秀雄、江藤淳、吉本隆明への揶揄となっていて、他方では、これは由良が四方田に採った態度以上の仕打ちであったことが明らかにされている。
形式上の教授と学生の関係に、精神的な師弟関係、あの子供から大人になる間の、そして学者になる人々にとっては現実社会に出て行かなくて済むことが決定的となる、あの一度きりしかない多感な時期の人生の転機に出逢う師が特別なものであり得るというのもそんなに不自然なことであるわけではない。しかし、現実に生じた「先生」自身の人格的崩壊と、著者との師弟関係の破綻。これはどちらも、「先生」自身の問題だったのかも知れないものの、別の同僚や教え子が本書をどう受け取るかはともかく、師として以上に知性としてあり、偉大な知性として崩壊し破綻したものとも言えるかもしれない。ビビッドな現実にあったもう一つの漱石の『こころ』、本書がそういうものであるとしたら、著者によって昇華されたこのもう一つの方法もそれほど悪意をもって非難されるようなものではない、そんなことにはならないと思いたい。
さすがの筆力だが
★★★☆☆
英文学の由良君美・東大教授(故人)との出会い、師事と交歓、そして離反と死別までを、自伝および評伝風に描いた長編評論。記述内容の密度は濃く、緊迫した文体も効果的で、十分に興味深く読めた。著者の旺盛な知的好奇心と記憶力、それらをビビッドに再現する筆力は、さすがといったところか。稲賀繁美という著者の後輩らしい研究者の「解説」は、四方田の文体をわざと下手に真似たような、悪文の典型だが、いずれであれ、80年代から目立ち始めた新種の東大系人文エリートの「生活と意見」がよくうかがい知れる記録ともいえる。
とはいえ、そうした東大系人文エリートの生態を暴露したという、本書のもう一つの側面を踏まえれば、評者などとは縁もゆかりもない世界だけに、ふとした箇所から、ひたすら鼻持ちならない、という気配が立ち込めてくる。本書のページから東大臭が立ち上がってきたら、いったん鼻をつまみ、息を止めて大きく吐き出し、すっきりと気持ちを整えていくのが便法である。
「お前には心がない」と北国の帝王なら言うだろう
★☆☆☆☆
こんなエライ先生がいた、という話が、結局、弟子に嫉妬するようなアル中だったってサ……? 嫉妬されるぐらい俺は偉いっていう弟子の話でした。最近の四方田犬彦は、いよいよ書くことがなくなってきた感じです。四方田が韓国に行くと言った時、「君もパリに行くのかと思ってたのに。韓国にも映画はあるの」と言ったフランス語の教師って、誰もが知っているように蓮実重彦。馬鹿まるだしですね。
あえて生意気で挑発的な年少者の落書きとして
★★★☆☆
「本書の第1章で、もっぱら弟子であったわたしの視点から眺められた由良君美を論じてきた。
第2章では編年体的に、彼を知る者の証言と彼の著作そのものから窺い知れる由良君美の
肖像を描いて、……第3章ではわれらが主人公の血統を遡行してみた。……第4章において
1980年代の由良君美、すなわち61歳で死を迎えることになるわが師[まさしくヨブのように孤独に、
……「犀のごとく孤独に」、人生と知のなかを漂泊していくことを強いられた]を見舞った
最後の10年を語る」。
そして「間奏曲」と題して、山折とスタイナーを手がかりに師弟関係を思考したのち、最終章では
「師とは過ちを犯しやすいものである」とのことばを反復しつつ、由良を総括する。
知識人の孤独、師弟が互いに孕み合う嫉妬や失望、大学における醜き政治――由良の情熱を
奪い取った要素をひとつに特定するのはあまりに愚か、しかし、師を語るにあたって、主題とでも
呼ぶべき何らかの骨子と主張が欲しかったように思う。彼の内面へと踏み込むことを躊躇した
のだろうか、あるいは憶測を記することに師への冒涜を見てしまったのか、かなりの部分が
読者各人へと丸投げされているような気がして、どこか迫力不足との感が拭えない。
単純な伝記として評価するにはやはり、記述があまりに簡潔であるし。
冷静に考えれば、筆者の屈折した思いが文体からそこはかとなく溢れ出していて、なかなかに
面白い本ではあるのだけれど、前評判の高さから、『こころ』や『行人』に匹敵するような濃密さを
期待してしまっていたという個人的な事情もあり、肩すかしを食らった、というのが偽らざるところ。
『先生とわたし』と言いながら、「わたし」による個人的な記憶と印象に従ってある種独善的に決然と
「先生」を語り切ることを逡巡して、師弟をめぐる一般論を振りかざされても、という念もある。
同時に、私自身の記憶を手繰って、師弟というのはそういう語り難いものでしょう、と諭されれば、
首を縦に振らざるを得ないのだけれども。
こうしたレヴューも筆者に言わせれば、「生意気で挑発的な年少者」の「落書き」なのでしょうか。