怖いのか?悪霊
★★★★★
ひたすら教会やそれに従ずる人たちについての『悪霊』のはなし。
読みやすい小説ですね。『百年の孤独』なんかもひたすらブエンディア一家の人たちの話で、決して読みやすい小説ではありませんでしたが、本書は違います。
それでいて読書後の満足感はあるのです。お気軽に手にとってください。
bueno
★★★☆☆
bueno el libro ,crudo( pero en la epoca de la esclavitud me imagino q se vivieron cosas peores )
マルケスの中では読みやすい!
★★★★★
一気に読んでしまいました。単行本で約180ページです。マルケスの中では、読みやすさという意味では、一番でした。
評価は分かれるかもしれませんが、面白い小説だと思います。値段がもう少し安ければいいのですが(*_*;
テーマも面白い
教会、修道院(サンタ・クララ)、悪霊、異端尋問、狂犬病。
登場人物
司教(ドン・トリビオ・デ・カセレス・イ・ビルトゥーデス)、修道院長(ホセファ・ミランダ)。
サグンタ(インディア女)。
怪しい医者アブレヌンシオ。カサルドゥエロ(イグナシオ)伯爵とそのベルナダ夫人(商人の娘)、
そしてその不思議な娘シエルバ・マリア(アフリカ名マリア・マンディンガ)。
そしてカエターノ・デラウラ神父。
以下、気になる方は読まないでください。以下、本文から。
シエルバ・マリアの髪は独自の生命を得てメドゥーサの蛇のように逆立ち、口からは緑色の涎が、そして、邪教のことばの罵詈雑言が果てることなくあふれ出した。デラウラは十字架を振りかざして、彼女の顔に近づけ、恐怖のさなかで叫んだ―――
「そこから出ろ、何者なのか知らぬが、地獄のけだものよ、出ろ」。
これをきっかけに、マルケス「百年の孤独」も読まれるといいと思います。
下半身が土に埋まったままの人達の国
★★★★★
全ての人が熱病にかかっているようなこの国の風土と、恋愛を土着宗教の悪魔のように語る視点にとりこになってしまいました。私が最初に読んだガルシア・マルケス作品が「愛その他の悪霊について」です。読み始めた最初は、自分が住んでいる”ここ”と”いま”に比較し、書いてある事のあまりのリアリティのなさと、ストーリーのサキが読めないことに苦労しましたが、この国では全ての空気が熱病のようであり、人々は下半身が土に埋まったままにそこから栄養分を吸い上げているかのようです。しかし愛と狂犬病とを同じものと捉えるこの小説は、なぜか最高の恋愛小説になっていました。熱病にかかった頭で愛し、足の先に生えている根っこから愛を吸い上げ、お互いが土に根が生えた動物である事を思い知らされる疼きが、恋愛小説としての最高の昇華になっています。この神父ように愛されたら最高ではないでしょうか。神父自身もハイだと思いますが。狂犬病少女も狂犬病によってハイになってイってしまいました。この狂犬病少女がとてもいいのです。こんな女に愛されて見たいとホント思います。
明晰と饒舌によるドラマツルギーの進化
★★★★★
「ガルシア・マルケス全小説」と銘打った作品群のうち、既刊のものとしては、『コレラの時代の愛』(1985年)と『わが悲しき娼婦たちの思い出』(2004年)の間に発表された作品です(1994年発表)。第二代カサドゥエロ公爵の娘で、母ベルナルダの娘に対する嫌悪のために土着民の女中たちのなかで育てられたシエルバ・マリア・デ・トードス・ロス・アンヘレス(「全ての天使の僕マリア」の意)と、教区神父カエターノ・アルシーノ・デル・エスピリトゥ・サント・デラウラの間の、愛の失墜を描いた物語です。
悪霊憑きと呼ばれるシエルバ・マリアと聖職者であるカエターノ、聖俗の両極端にある二人の間の愛は、人々が聖と俗と名付けたに過ぎない概念による翻弄、それに対する戦いを経て、失墜へと到ることになります。それはまた、コロンビアという国における宗教、社会制度、俗習による悲劇とも呼べるかもしれません。
マルケスの作品、特に『族長の秋』以前の作品は、混沌と明晰が同居した独特のドラマツルギーを大きな特徴としていましたが、『コレラの時代の愛』以降は、混沌に対する明晰の比重が増してきたように見受けられます。そして、更に饒舌さを増した語り口は、この物語を紐解いた読者を物語の終焉(マルケスの作品に終焉というものがあるとすればですが)へと引き付けて止みません。
現在80歳のマルケスがこの先物す作品は多くはないでしょうが、今尚作家としての熟成が進むこの稀有な作家の新作が待たれます。