理由1。彼の言う連続性は、抽象的な「思考の形」の連続性にすぎない。その際、そうした「思考の形」の社会成員への浸透度や恒常性、他のアイデンティティに対する優越性の程度等の変化は軽視される。彼にとって、記憶・象徴・神話・伝統のような「思考の形」(思想内容)こそが第一義的であり、ナショナリズムの「機能変化」(実態)にかかわる要素は二次的である。
理由2。彼は土地との結びつきや血統など、「要素」によってエトニ・ネイ!ションを定義しようとするが、それは「想像上の結びつき」でもかまわないとされる。
理由3。彼も近代における根本的変化を認めており、エトニに基づくネイション形成と、領域に基づくネイション形成という、ネイション形成の二つの軌道があったことを認めている。エトニとネイションは、必ずしも直結しない。
このように、「要素」によってナショナリズム一般を定義することや連続説の困難がよく分かる本である。本書はアンダーソンの説にとって代わり得るような代物ではなく、それを補完するものと見た方がよい。本書は、ナショナリズム「思想」の類型論としてのみ、その意味を持ちうるのであり、そうしてこそ本書の該博な知識は生かされる。