タイトルに半ばだまされました。
★★★☆☆
実のところ、本書の趣旨はシェイクスピアの正体に迫る!…というものではない。
第一部で数々のシェイクスピア別人説を論破していき、第二部ではやはりシェイクスピア
本人が、その生涯は謎めいているにせよ真の作者だと考えざるを得ないと結論される。
第三部では、従来彼を指すとされていた「成り上がり者のカラス」は、実は役者エドワード・アレン
のことだという新説が展開される。
400年に及ぶ沙翁研究の垢を落とし、作品と作家を当時のコンテクストに置き直そう
という実証的態度は共感できる。論旨は明快で、主張にも説得力がある。
しかし、結局のところ素人が抱く素朴な疑問――「シェイクスピアはどんなひとか、なぜ
数々の傑作を遺しえたのか」は、本書を読んでも少しも解消されない。
たとえば第三部の結論は、「彼はますますミステリアスな男になる、それだけのことである」
(本書214ページ)。それでは「謎とき」という魅力的なタイトルはどこへいったのか。
もちろん、シェイクスピア学界は複雑怪奇な政治の様相を呈しており、そこで旧来の常識を打破することに
著者は困難を覚え、まず一般読者に向けて自説の妥当性を訴えたかったのかもしれない。
けれども、新説はまず学界に認めてもらい、それから一般読者にわかりやすく面白く伝えるというのが
やはりあるべき順序だと思う。
当時の時代背景について詳しく知りたいひとには向いていますが、
単にシェイクスピアに関心がある読者にはあまりお勧めではありません。