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日日雑記 (中公文庫)

価格: ¥620
カテゴリ: 文庫
ブランド: 中央公論社
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枯れつつあってもなお天衣無縫 ★★★★☆
骨太でクールな独特の語り口は、執筆当時の年齢六十歳半ばを全く感じさせない。娘である写真家武田花さんとのやりとりも微笑ましく、京都で絵葉書を3400円分も買い込むなど、剛毅ぶりも健在。一方で、泰淳氏を失ってからの寂寥感が、大岡昇平氏への追悼文や昭和天皇崩御の報に見え隠れするように、行間ににじむ。突如挿入された愛猫が死ぬシーンでは、あやうく涙をこぼしそうになった。「死の香り」とでもいうべきものがそこはかとなく漂う本書は、最期のエッセイ集にふさわしいとつくづく思った。
人間て、いいなあ。生き生きとして飾らない文章に触れていくうちに、しみじみしてきちゃいました。 ★★★★★
 <ある日。>という出だしの一行から、するすると滑り出し、日常の身辺の出来事を気ままに拾い上げていく日記です。1988年(昭和63年)6月から、1991年(平成3年)4月にわたって、『マリ・クレール』誌に連載した文章+αを本にしたもの。

 著者の文章を、今回はじめて読んだのですが、気さくな人柄がそのままに伝わってくる文章のたたずまいがいいですね。よそ行きの御馳走じゃない、ご飯とお味噌汁、お新香と塩鮭の焼いたの、それに焼海苔がいくつかとお茶みたいな、普段着でさっくりとした味わいの語り口。
 「しなやかで、みずみずしい感受性が、いいなあ」「人間て、いいなあ」と、生き生きとして飾らない文章に触れていくうちに、なんだかしみじみしてきちゃいました。

 池袋の文芸坐地下劇場で松本清張の『砂の器』を観た<ある日。>。ヒトの年齢で数えれば百歳になる玉(飼猫)が死んだ<ある日。>。富士北麓の夏、大岡昇平の家で夫妻と一緒にテレビを見た<ある日。>。うっかりして、H(娘で、写真家の花さん)の財布を地べたに置き忘れてしまった<ある日。>。
 なかでも印象的で、何ということもなく懐かしい思いに誘われた日記です。

 でも、一番味わい深く、心にしんと染みてきたのは、おしまいの二行でした。
<部屋のテレビで、ベルイマンの映画を延々と深夜まで観た。ベルイマンの映画をみていると、夫婦っていいなあ、と思う。>(p.251)
雑記の中に見えるもの ★★★★★
今、日記をつけることもブログで済む。けれども、ネット上を意識するが故に、本当に本当の事を書いているのかも判らない。読み手は、それを信じて受け止めるのか、または嘘っぱちだな、と鼻っから決めて読もうが、書き手も読み手もネットの大海の中を其々に漂っている。

日記、雑記。著者の目を通して、そのまんま描かれている光景。だから、リアルであり、時にはグロい、だけれども決してうんざりさせないのは、この方の書かれる文章は、うんちくがあるわけでもなく、回り口説くもなく、すうーっと読ませてくれるのだ。

東京と富士の山小屋、在りし日の旦那様の事、そして仲間の死、愛猫を見送っても、なお彼女は凛として生きてきたのだろうか、いい女の生き方しているなと感心する。

お嬢さんのH(花)さんと出掛けた時の話、映画を観た時の話、食事に出掛けた事、などなど、ごく普通の事なのに、おもしろおかしいのだ。

大好きな他人の日記のひとつです。アラフォーもTVドラマばっかり観てないで、雑誌ばかり捲ってないで、この一冊読んで欲しいな。既に折り返し地点に近い、いいや過ぎてしまった私達に、何か特別なイベントだの、流行の何某だのばかりが全てではないって事。よおく知って歳を重ねたいと思います。
ブラックにユーモアで孤独 ★★★★★
基本的に「ある日」という出だしではじまる日々の雑記。

出かけた場所で出会ったひとびとをつづった文章はユーモアに溢れてはいるものの、結構残酷ですらある。モデルになったひとたちが自分について書かれた箇所を読んだら、うれしい気持ちにはなれないのではないかと思わないでもないが、この残酷さは作者自身にも向けられるから嫌味な文章では全くない。

『富士日記』と比べて、この『日日雑記』は全体的に寂しさが色濃い本である。『富士日記』も、下巻は、夫の泰淳がどんどん衰弱していく姿が描かれていて、最後は悲しくならないではいられないのだが、それでもあの本にはまだ生気があった。対して、この『日日雑記』は大切な人たちや身近な人たちに先立たれて、この世に残されたものの孤独みたいなものが底流にある。泰淳のハエタタキの逸話やら妻子にお金を渡す泰淳を回想する作者の姿はせつない。

「部屋のテレビで、ベルイマンの映画を延々と深夜まで観た。ベルイマンの映画をみていると。夫婦っていいなぁ、と思う。」という文章がラストなのがいい。
年月の澱を背負い込んで ★★★★☆
武田百合子最後のエッセイ集。1988~1991年の雑誌連載である。天衣無縫な感性は衰えていないが、中途半端に身に付いてしまった技巧が、これを邪魔しているように思える。「富士日記」の登場人物(と猫)も懐かしい姿を見せてくれるが、当時に比べ物価は上がり、世の中はますます世知辛くなり、何よりも皆、年をとった。

本書は日記らしい形態をとっているが、日付はなく、娘さんはHと呼ばれ、夢の話が多く、何となく現実感が薄い。天然色だった「富士日記」の風景に比べて、ここに映された世間の姿は、まるで影絵のようである。決して暗い話ではないのに、かすかながら無常感が漂う。読まなければよかった、という気持ちが、少しだけする。