『仁義』とその流れの作品が、世界の映画の中でどんだけ異彩を放っているかがようく解るから。(注)現在のOVはどちらかというと『完結編』に繋がっている。詳しくは本書を読まれたし。
そして、『仁義』に魅せられ、それに惹かれることがどれだけのものを失うのかを考えろ。少なくとも「女」友達なんかいなくなるぞ。
「何か汚そう」だと、上等じゃ。そっちとは飲まん。
すかした映画評からは百万パーセクも離れた、ボンクラ男の煩悩を満足させることだけに捧げられた映画の墓標の前で声の続く限り叫ばれる、キれまくった非鎮魂歌として、読むべし、読むべし、読むべし。
編集後記の藤木氏の「下田美馬・三田絵津子にもっともズベ公魂を感じる」には当時のラスカチョの潔さを思い出して、それだけでも泣けてくる。
これ読んでないやつが『キル・ビル』を語るんじゃねぇぞ!
第三弾はまだか!