何故だろうと思って読み返してみたが、その理由が分かった。18世紀初頭のキリスト教徒の世界観に基づく小説だからである。放蕩息子が、無人島でひどい目に会う内に、神に目覚めるというあたりはまだよいとして、黒人奴隷はあたりまえ、原住民は野蛮人、キリスト教徒は未開人を教化してやるのだ、無人島ですら国王きどりになる、その世界観に違和感を感じていたのだと思う。
とはいえ、主人公の心の描写には切実なものがある。例えば「苦境から救われるのよりも、罪から救われる方が遥かに有難いことを感じる」とか、「自分の境遇を・・・より辛いものと比較して神に感謝したならば、人間の間にどれだけ苦情の種が減ることになるだろう」など、他にも多数あるが、このあたりは、小学生の自分にはその価値が分からなかったのだろう。
いずれにしても、アウトドア的な冒険小説としてではなく、人生の真理に迫った小説として読むといいと思いました。
"本物"のロビンソンは、牧歌的なサバイバル物語ではない。
第一、主人公がイヤな奴だ。
恵まれた境遇によりかかり、何をするでもなく、早く簡単に良い結果を出すことばかり考えている。
熟考することなく、場当たり的。
何かを決意してもちょっとおだてられると、すぐに節を屈してしまう。
自分は何もしないくせに、他人には忠実であることを望む。
そして有色人種に対する理不尽な優越感。
この態度、この語調はどこかで見たことがある、と思ったら。
「カラカウア王のニッポン仰天旅行記」の著者、ハワイ王の随行を勤めた白人と同じだ。
「ガリバー旅行記」は子供向けの本と"本物"とでは、主題が異なることを知る人も多く、そのため"本物"を読む人も多いだろうが、
ロビンソン漂流記の"本物"を読む人は少ないのではないだろうか。
子供の頃「無人島ごっこ」をした人に、是非いちど読んで欲しい。