題名で衝動買いするべからず
★☆☆☆☆
目的地まで向かう道すがらの書店の店頭でこの本を見つけました。
題名に関しては非常に知的好奇心をそそることは確かですが、内容自体は作者はいったい
何が言いたいのか、何を訴えたいのかが最後までわからず・・・。
私の読解力の未熟のせいもあるかもしれませんが、作者の思いついたままのことを文章に
したような感じでした。
立ち読みしてから購入すべきでした・・・。
頭を使え!
★★★★☆
当初はこのタイトルがどうも、と全く読む気にならなかった。昔から、訳もなくただ「本を読みなさい」という世間の声が、「勉強しなさい」と同義語にしか思えず、面倒なものにしか思えなかった。また、このタイトルを見ると、本を読めば不況から脱出できるとか、生活の知恵が身につくのかと勘違いしそうになるが、そんなことは一切書いていない。要は考える力を養う必要性を説いたもので、この本書を読むこと自体が「考える」よう仕向けられて、まんまと(?)著者の意図にはまる。巧い。こういう手で小さい時からのせられていれば、もっと勉強していたのかもしれない(?)いやこれは他力本願だった。本書の意図からズレている。
最初は今の不景気に至るまで、バブルの頃から歴史をおさらいしているので、経済に詳しくなれ、ということかと勘違いもする。でも、日本が他国(アメリカ)の言いなりにならなければ、もっと自分たちのやり方に自信を持って突き進んでいれば、今の日本じゃなかったかもしれない。もっと「考えていれば」・・・。アメリカはその点、戦略的に動いてきている。よく作戦を練って、仕掛けている。日本もよく練って動いたけれど、それは資源が無くて生き残るためには技術力を磨いて、その腕で生きてきた職人的な存在で、アメリカは物は作らない(最初の型は作るけれど)けど、そこから利益を生む方法はよく考える、などなど、タイトルの意図に辿りつくまで周辺を回っているように見えるけれど・・・。「書かれていないことを考える」、これまでの本の読み方も振り返りたくなる一言だ。
異色の経済本
★★★★☆
「本を読む」というタイトルから、読書の楽しさを説いた本だと思って買いました。
でも内容は違っていました。何と「大不況」に力点が置かれた経済の本でした。
なぜ、日本は不況に陥ったのか、リーマンショックは何故起こったのか、世界不況の
今後はどうなるのか、などが独自の視点でかかれています。
今何か起こっていて、今後どうなるのか、について様々な経済書が書かれています。
2010年頃には回復するだろうみたいな意見が多いけど、ほんとかなぁ。と感じて
いました。今回の不況は何だが様子が違う。何か大きな変化が起こっている様な気が
します。そういったことを考えるのに非常に役立つ本だと感じました。
もう「金」で済ます横着は許されない。
★★★★★
1994年に出版された『浮上せよと活字は言う』
浮上せよと活字は言う (平凡社ライブラリー)
からの引用・・・・・
前近代を切り捨てる形で近代というものは登場し、そしてその近代は
ある達成を見る。近代の先にある“現代”は、その達成を
踏まえなければならない。切り捨てることによって達成されたものの
その先は、切り捨てずに「踏まえる」という逆の方法を必要とする。
そしてこの『踏まえる』という方法は、
近代が切り捨ててしまった前近代の方法だった。・・・・・
これまでの歴史を踏まえながら未来に向かって物語を紡いでいくのに
必要なのが「本を読む」という地味で地道な作業。
面倒なことは全て金で解決しようとしたって、そうはいかない
時代がやって来た。
本は何のために読むのかということだ
★★★☆☆
橋本氏は、何のために本を読むかと問えば、「人のあり方」を考える、この先の読めない時代において「どうやって生きていくか?」を考えることが必要である。産業革命以来の世界のあり方は壁にぶつかった。だから「この百五十年分を考え直す」ために本を読むのだと言います。内容のほとんどが橋本治流経済の解釈になっている点は、上記を言いたいがための前提条件、いわばオマケみたいなものです。
「本を読む」というのはどういうことか、橋本氏は続けます。本を読む上で一番重要なのは「行間を読む」こと、すなわち、本に「書かれていないこと」を読むことであると説きます。書き手と読み手の視点の「ズレ」、そこに読み手は「その本に書かれていない自分のあり方」を探すのだと。まあ世の中には「行間のない文章」が溢れているんですが。
分かりきったハナシですが、改めて橋本氏がこんなこと書かなくてはならないくらいに、読書世界が変質したといことか、世界そのものが変質したということか。