著者は反日歴史教育にどっぷりつかって育った人である。だから「日本語を使う人をみると不愉快になる」というほどの「日本嫌い」だった。それが、海外に出てから「国際社会における韓国と日本の位置をより客観的に認識できる」ようになった結果、朝鮮の開国期と日本統治についての「一方的に歪曲された歴史認識」から抜け出し、バランスのとれた認識がもてるようになったという。
日韓併合については、東アジアの不安定要因である脆弱な前近代的王朝国家を日本が統治するのは、欧米列強にとっても歓迎すべきことであったという見方がある。しかし、著者のいう「バランスのとれた認識」は、それをはるかに越えて革命的なのである。
「藤尾氏の発言中にある『日本が韓国を善意で統治した』というのは事実である」。しかし、「併合は悪いことであった」という前提で「よいこともした」式に論を展開するのはなぜだろう、と著者は首をかしげる。日韓併合は朝鮮の「ブルジョア革命」であり「文明開化」であった、そして日本の統治は朝鮮人にとって「祝福」であった。つまり、著者の認識では、併合は「形式的にも事実の上でも」正しかったのである。本書の扉に「金玉均 伊藤博文 朝鮮の文明開化のために殉じた 二人の霊前に本書を捧げる」とある。いうまでもなく、金玉均(キムオックキュン)は、日本維新政府の力を借りて朝鮮を近代国家にしようと奔走した若き革命家。閔妃の放った暗殺者に殺され、「親日売国奴」として五体をばらばらに刻まれさらされた。そして伊藤は朝鮮民族抑圧の首魁として、ハルビン駅頭で「愛国の志士」安重根に殺された。その2人を文明開化の殉難者とする巻頭の献辞に、著者の歴史認識が鮮やかに浮かび上がるのである。(伊藤延司)