かっての重光の立場とは正反対のことも書かれているので、事実関係を承知している人が読めば、戦後の重光にとって何が不都合だったのかが解るだろう。しかし、近現代史を勉強中の人、あるいはこれから知ろうという人には不向き。文庫版だけに普遍的であろうし、とんでもない間違いを植えつけられる危険がある。
著者はこの動乱の原因を、政府の無能、軍部の横暴、国民の政治的訓練不足の三つに収斂して説明しているが、特高警察などが活躍した以上、政府の無能はあり得ないのではないか。新聞などマスコミが世論や軍部をあおった形跡も認められるが、動乱期のマスコミは軍部よりも、政府の統制下にあったのではないだろうか。
大正から昭和期にかけての日本経済の逼迫と大陸侵略に至る原因を、第一次大戦以後の帝国主義列強国の保護経済による締め出しと、日系移民排斥などのアメリカカナダでの人種差別に求めるなど、「昭和天皇独白録」に酷似している部分がある。東京裁判の法廷戦術でも決まったものがあったのだろうか。チャーチルの「第二次世界大戦」冒頭ともからめて、興味ある記述だと思う。
著者のゾルゲに関する記述にワクワクさせられたので、今ゾルゲの本を読んでいる。確かにたいしたスパイだ。でもゾルゲにすれば、三国同盟と日米交渉を二股かけてすすめていた日本政府は、無能どころかたいした玉だと思っていたのではないか。ほかにも松岡洋右関連の記述も出色。
この回顧録は、重光外交の冷徹な情勢認識と理念との見事な結合を示している。その中でも1941年9月に第2次世界大戦が発生した時に日本がいかに行動すべきかについての重光の分析と判断は今でも圧倒的な迫力で読むものに迫る。