ファッションを通して、「じぶん」を易しく説いてくれる異色の哲学書
★★★★★
これはそもそも高校生向けに書かれたものだが、当時40代後半の鷲田氏の語り口の軽妙さと発想の意外性に、大人も読まされる。
冒頭の一行、「からだって、こまったものだ。」人は実は「じぶんの身体がじゅうぶんによく見えない」。だから、自分の体に対し「もろい」「イメージ」しか持っていなくて、服を着てイメージを「補強」する、あるいは服でじぶんと外界との「境界」を作る…… 。言われてみれば納得できる。
なによりdisproporsionを「不釣り合い」「不均衡」という堅い言葉ではなく、「ちぐはぐ」という日本的な言葉に置換したところがすごい。プロポーションを命とする「モード」と、それを壊そうとしてきた山本耀司や川久保玲といった「非風」の人々と、「ちぐはぐな身体」へのイメージ作りに右往左往する人間…… 。
それは、制服の考察、ダイエット症候群や清潔願望の読み説き、男性が女装すると人格崩壊に近い衝撃を受ける、という事実にまで広がっていく。哲学=知を愛する学問なのだから、ファッション学はあって当然なのだ。そして、それは身体と心に直結したもの。この点がとても新鮮だ。
敷居の高そうな哲学を身近にしてくれる格好の入門書。
“今を生きる”流行服。
★★★★☆
流行の服を着るということは、
過去を捨て、未来のことも考慮に入れず、
まさに現在だけを考えるということ、なるほど納得です。
流行の服を追う事というのは、
今を生きるということでもあるし、刹那的でもあるんですね。
買い物中毒で悩んでいる人は、この本と『モードの迷宮』を読むと、
買い物中毒の自分を客観視して自己分析が出来るようになるので
冷静になれそうです。いい効果があると思う。
でも、買い物に熱狂している間は、この本にさえ気がつかないかもしれませんが。
この本を読むと、社会と服の関係も分かります。毎年の流行を、自分たちで
分析することも出来るようになって楽しいと思いますよ。
ファッションと哲学の関係
★★★★★
著者の鷲田さんは哲学者である。
哲学者がファッションの文章を書くなんていうと、違和感を感じる人もいるかもしれない。
実際、あとがきによると、哲学仲間からも馬鹿に呆れられたというようなエピソードが書いてある。
しかし、「なぜ服を着るのか」をしっかり考えたことある人がいるか。さらに、「なぜその服でなければならないのか」をしっかり考えた人がいるか。あんまりいないと思う。
特にデザイナーに関しては哲学と関連が深いはず。本書でも、山本耀司、川久保玲、三宅一生の考え方にも触れている。
ただ、この本はフッションを取り扱ってはいるが、別にこの服が可愛いだの、あの服がカッコいいだの言っているわけではない。
ファッションを通じて、「じぶん」や「じぶん」の身体について考えている本である。
これを読んでさらに興味が出たなら、これもオススメ。
『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)
「じぶん」の「からだ」について、きちんと考えるために
★★★★★
「ファッションはいつも愉しいが、ときどき、それが涙に見えることがある。」(文庫版あとがきより)―こういう言葉をいったいどういう哲学の学者の書物に求めることができるだろうか。ファッションがひそめている人間の身体に関わる悲哀を、若い人々にもわかりやすく説いている点で類を求めがたい、いい本である。著者は同じようなテーマで他にもいくつか本を書いているが、マンネリをかんじさせないところはさすがである。こういう本を書くときでも、引用などから背後にある深い教養がうかがえるのだ。
以前はプリマーブックスに入っていたものだが、文庫になって、より購入しやすくなった。自分に一番身近にありながら、同時にもっとも遠く感じる身体という「ちぐはぐ」なもの。この本はからだについての自己了解の書でもある。著者は目の前にいる若いカップルに向かって話をしているつもりで書いたと述べている。身体についての悩みを抱えやすい若い人にとくに薦めたい。
洋服っておもしろいなあって思います
★★★★★
自分の着ている洋服の好みについて、気になることがある人は読んでみると面白いと思います。自分の好みについては感覚的な人と理屈がある人に分かれるかと思うんですが、「気になる!」というところが、この本を読むと「なんで気になったんだろう」という問いが沸き、それに対する答えが自然に出てくる感じです。ファッションを扱った本ですが、作者の押し付けがましくないニュートラルな書き方がいいです。読みやすいし反発心を起こすような記述はほとんどないです。なにより活字が大きくてあっという間に読んだ気になれます。
同作者の『人はなぜ服を着るのか』もオススメです。