星5つ差し上げようかとも思ったが、シメーネス神父がディエゴ・デ・レイノーソから『ポポル・ブフ』の原本を手に入れたという基礎的な間違いがあり、これによって星を一つ減らした。(学説の中には16世紀にディエゴ・デ・レイノーソの書いた本が、17世紀末期か18世紀初頭にヒメーネスに渡ったというのがある。たぶん筆者はマヤ人たちの言うことをそのまま確認せず書いてしまったのだろう)
マヤ人たちの古事記とでも言える「ポポル・ブフ」が現代マヤ人の間でどのように捉えられているかということを知るのに格好の書である。特に現代のマヤ人たちはこの書を『時間の書』として再認識しようとしているのは実に興味深い。また、キリスト教とマヤ宗教に対する彼らの考えは、日本人の神道や仏教とキリスト教に対する考えにも近いものがあり、面白い。
研究書と言うよりは取材記という形に近いので、一般の人でマヤ文化に関心のある方は読みやすい。
この本の内容は米国と英国で来年出版される私の専門書の中で大いに活用させていただいた。いくつかの点を米国の人類学者であり、グアテマラでも本を多く出しているカーマック博士に知らせたところ興味ある取材の内容であるといわれた。ただ、マヤ宗教は中央組織がないために、マヤ宗教の解釈は地域・さらにはマヤの個人間に相当違いがあることを念頭に置かれたい。
なお、この本の著者は『ポポル・ブフ』の翻訳者の一人であるアドリアン・チャベスについてフリー・メイソンのメンバーであったため、マヤ族をイスラエルの民の子孫であるというようにポポル・ブフの内容を改変しようとした、という意見を収録しているが、生前のチャベス氏をよく知るカーマック博士は、フリーメイソンの会員であったかは知らないが、チャベスはとても神秘主義的な人であったと私にコメントした。