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アンラッキーヤングメン 1 (単行本コミックス)

価格: ¥1
カテゴリ: コミック
ブランド: 角川書店
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共産主義に走った人間を賢く書きすぎてはいないか。 ★☆☆☆☆
共産主義の活動に参加した当時の学生は判断材料が乏しく、権威的な語調で書かれた共産主義についての著書に批判をすることができず、集団効果やメディアの宣伝も手伝って、共産主義を論理に基づいた思考で捉えるのではなくはなく、論理が含まれていると信じて考える習慣としてしまった人間が数多くいる。
ぜんぜん駄目。
周りの人との相対評価で駄目でなかったかも知れないが、やっぱり駄目。
いきなり暴言を吐いたり、スカートをめくったり、鼻くそをほじるような今の70才くらいのおじさんと同じ行動を入れるべきなのではなかろうか。
震えました ★★★★★
一定の間をもちながら淡々と流れるこの舞台には虚構のような現実があった。それぞれの閉ざした心の内にある本当が啄木の句の内で繋がったラストは見事でした。
やはり話は団塊に行ってしまうのか…的な伝奇マンガ ★★★☆☆
 表紙に「藤原カムイ×大塚英志」とあるし、第1巻の藤原の後書きからも2人のコラボな空気が窺える。でも同時に大塚が藤原を指名したことも書かれていて、すでにプロットも用意されていたのだから、藤原には悪いかもしれないけど、やっぱり大塚に主導権があったんだろう。映画で言えば原作もプロデューサーも監督も脚本も大塚で、藤原はキャメラって感じかな、推測ですが…
 で、第2巻の後書きには大塚の野心みたいのが書かれていて、そこでは、これだけ具体的なモデルを感じさせる話でありながら、描きたかったのは彼らじゃない、と言われている。「作中の時代にぼくなりの拘泥があったとすれば、この時代は戦後まんがが『内面の書式』を発見していく時期であった、ということだ。まんが表現が『内面の書式』を立ち上げていく時のもがきのようなものをぼくはこの作品でやり直してみたかった」(p381)のだそうだ。
 登場人物の「内面」の位置に啄木の歌を置くという実験のあざとさは好みの分かれるところだろうが、それは措く。それより私が気にかかるのは、「彼らの内側にノンフィクションを装い踏み込む権利はぼくにはない」(p380)という言葉で、しかし大塚はこれまで何度も、そういうことをしてきたんじゃないのか? 本作に接するところで言えば、『彼女たちの連合赤軍』とかサ。それは誤解だと、大塚は言うのだろうか? それとも考えが変わったんだろうか? それに啄木の歌だって、すでに「内面」なんだし…
 あとコレ、山本直樹の『レッド』への嫌味みたいにも読めるんですけど、これはワタシの妄想かな?
虚実を織り交ぜ1970年前後の日本の空気を描く ★★★☆☆
全体としてはフィクションなのだけれど、現実の事件(連続ピストル射殺事件、三億円強奪事件、三島由紀夫割腹自殺、よど号乗っ取り、あさま山荘事件etc)が物語に盛り込まれ、主要登場人物の多くが実在の人物(永山則夫、連合赤軍の永田洋子、三島由紀夫、中上健次、ビートたけしetc)を連想させるものとなっており、大江健三郎の名前や作品名(『性的人間』)が出てきたりもする。そして、句点のようにして物語の節目節目に石川啄木の短歌が配置されている。

「事実」を分解して再構成し、さらには濃縮して作り上げた「現実」といったところか。そこには、上にあげたような度外れた事件が次々に起きた1970年前後の息苦しいような切ないような空気が表現されていると思う。

といっても、1961年生まれの僕自身がその空気をよく知っているわけではないので、この作品で表現されているものが当を得たものなのかどうかは何ともいえない。

全2巻で相当のページ数があるのだが、一気に読めた。退屈はしない。ただ、食い足りないというかちょっと期待外れな気もした。知っている事件や人物が出てくるのは面白いのだけど、やみくもにアングラなものをかき集めたという観もあって、必然性が十分あったとは思えない。漫画なんだから、と言われればそれまでなのだが。
団塊の世代を象徴とする時代 ★★★★★
運命の歯車が狂った瞬間を垣間見た目撃者のような気分に心地良く引き込まれた。真っ直ぐに信念を通す登場人物たちが眩しい。