う…重い…
★★★☆☆
この作者の漫画は今回初めて読みます。
まだ一巻だけしか読んでませんが、話が暗くて気分が落ちそうです。「おおきく振りかぶって」のような明るいスポーツ漫画ではありません(一巻は)。
そして個人的な話になりますが、主人公の大石練の顔が可愛くて私のタイプであります。今後の彼女の成長に期待します。
古典様式を借りた非常に現代的な作品
★★☆☆☆
6巻まで読んでの感想となります。
えー、この漫画は非常に伝統的な少女漫画です。一言で言えば、アタックNo.1のリメイク作品だと思うのですが、少女漫画の系譜あるいは型を意識して描いているところに、この作者の凄さがあると思います。
また、バレーの各ポジションを丁寧に解説してくれているので、バレー素人には、まったくありがたい作品です。
と、ここまでは褒め言葉で満たしてしまいましたが、ここからは批判となります。
この漫画のファンの方で、批判を見たくない方は読まないでください。
伝統的な少女漫画を踏襲していればこそ、逆に少女漫画のもっている弱点が噴出しています。この作者の方は秀才型の漫画家だと思うのです。すべてのキャラクターは完全に作者の掌中にあります。作者の操り糸で完璧に手繰られます。それが、この作者のすごいところですが、またそこが限界なのです。どのキャラクターもまったく破綻していないところがこの作品の最大の欠点だと思うのです。
批判的な観点でこの作品を再度定義すると、「完全管理社会の少女漫画」とでもいうべきものです。彼女らの暮らす学校世界は一つの資本主義あるいは商品化社会のユートピアです。理想的なインフラの上に勤労・評価・礼節・財産・地位・努力等は完璧なバランスを持って構築されます。一見はみ出しものの風の者達が紆余曲折を経てバレー人財として磨きあげられていきますが、はみ出しもののはずの彼女らは実は協調の欲望を潜在的に抱いている人たちなのです。
伝統的な少女漫画の型とは、とどのつまり「社会的コードをめぐる言説」の漫画です。
少女達は様々な社会的コードへどこまでも埋没していき、そこから逃げ出せないのです。
例えばこの作品では登場人物は誰もけしてひとりなれないのです。ひとりになることはむしろ苦しく悲しく罪深いこととしてのみ描かれてしまっています。
本作中より具体的な例をあげてみましょう。こんな会話があります。
「まちがったこと言ったらどうしよう」
「まちがったらいいじゃん」
「そしたらケンカになっちゃうじゃん」
「そのつどケンカすりゃいいじゃん」
「社会人とか仕事だったら話は変わってくるけどな。本気ならいつかわかってもらえるよ」
なぜ学生なら本音でぶつかれで、社会人なら話は変わってしまうのでしょう。
きっと漫画の持つアンダーグラウンドなパワーは、社会人でも話は変わらないんだっと登場人物が暴走してしまうところにあるのだと思うのです。あるいは逆に、学生も本音じゃないよねと登場人物が逆に暴走するのもありかと思います。
この漫画にはそれがありません。
現代の保守社会を構成しているネットワーク型人間には実にぴったりな漫画だとは思います。この作者の描く世界はきっと、優しい全体主義なのだと思います。
スラムダンク的な 勝負への熱さ
★★★★☆
バシ節全開フルスロットルです。
陣内笛子と『G戦』の阿久田鉄人の登場シーンがちょっと被りますが。
スラムダンク的な熱い鉄のような硬さ。
勝つ事に貪欲なメンバーに恵まれなかったゴリの苦悩と
大石練の苦悩がダブります。
湘北メンバーが1人、一般的な女社会に紛れると、こうなるのだろうか?
という感じ。
他にも恋愛漫画的な切なさ、酸い甘いが物語の網目の隙間に
上手く織り込まれており、毎度ながら、幾重ものテーマを
同時多発的に扱う巧みな構成力に圧倒されます。
初期のヤンマガ連載作は、その辺がかえって分かりにくさと
取られてしまい読者が付いてこれなかったのでしょうか。
5巻まで読んで
★★★★★
これは……面白いですね。。。
いろんな問題を抱えた少女達が集まっているので
それはそれは問題が起こりまくりますが、
何とも言えないパワーで突き進みます。
結構大きい問題も起こるんですがね……
みんなそんなに気にしないんですよこれが(笑)
どんどんチームとして完成していくのを見ていくのは気持ちがいいものです。
5巻のキャプテンはハンパなくかっこいい!
読んでない人はぜひ!
面白い!
★★★★★
面白い。
久々に面白い「漫画」を読んでる、私。
一つも無駄なコマが無く、話がすすんでいって、小気味よい。
何だか画力もアップしてて、見やすくなってるし。
続きが気になって気になって、凄く今後が楽しみ。
対応が早くてありがたいです(´∀`)
★★★★★
対応が早くてありがたいです( ´∀`)