物語の冒頭は、ジェイムズの『The Ambassadors』を彷彿させる。トム・リプリーは、富豪のハーバート・グリーンリーフから、長らくイタリアへ行ったきりの息子ディッキーを呼び戻す使者に選ばれる。ディッキーは地中海の気候と魅力的なパートナーのとりこになっているようだった。だが、グリーンリーフは息子がニューヨークに戻って、家業を手伝うことを望んでいた。報酬と新たな目標を手にしたリプリーは、うっとうしい街のアパートをあとにし、使者としての務めを開始する。しかし、リプリー自身もイタリアに魅せられてしまう。ディッキー・グリーンリーフの生活と見てくれにも心を奪われる。リプリーはディッキーにうまく取り入るうち、ぜいたくかつ自由で洗練された暮らしに強いあこがれを抱く。そして、ディッキー・グリーンリーフになりすまそうと決意する―― あらゆる犠牲を払ってでも。
『The Talented Mr. Ripley』はおもしろさで際立っており、リプリーが自己防衛のために次々と巡らす才略を、手に汗にぎる筆致でつづっている点で、凡百の現代小説とは一線を画している。ハイスミスが本書を執筆したのは、作家としての全盛期を迎えたころである。異常者の心理をとらえ、リプリーの道徳心に欠けた穏やかならざる目を通して描いた世界は、のちにハンニバル・レクターのような連続殺人犯が生まれるモデルとなった。