記録がほとんどないために、歴史に埋もれてしまったサントス-デュモン。いまや、カルティエの時計の名前にのみ、その名を残しているサントスの人生について、地道に記録を拾いながらまとめているのがこの本である。彼は、自ら考案した飛行機や飛行船に関する特許を、何ひとつとして取ろうとしなかった。今となってみれば、それらが仇(あだ)となって、歴史から消えてしまった人物である。しかし、1800年末から1900年代のパリにおいては、空を散歩するおしゃれな伊達男として、ちょっとした有名人であった。カルティエとも親交があり、飛行中に懐中時計を取り出す暇がないという悩みを聞いたカルティエが友のためにデザインしたのが、世界初の紳士用腕時計である「サントス」なのだという。
本書は、事実を追いかけるといった重い雰囲気ではなく、サントスの魅力を伝えるにふさわしいような、軽い文体で書かれている。当時の写真や風刺画などが多く掲載され、本の装丁も大人のためのメルヘンを思わせるような作りとなっている。多少、翻訳に読みづらいところがあるが、本書を読んでいくと、誰が最初に飛んだのかという疑問など、どうでもよくなってきてしまう。飛行の歴史には、こんなにおしゃれな紳士がいたということを知っただけで得した気分になれる本である。
確かにサントスは、ライト兄弟に名声をかき消されてしまった悲劇の人かもしれない。でも、高級時計に名を残すなんて、何とも彼らしく、粋じゃないか。(朝倉真弓)